京都近代化を遡る【06.平安遷都千百年記念事業】
「平安遷都千百年記念祭」は平安遷都から1100年目を記念し、1895(明28)年、第4回「内国勧業博覧会」と時期を合わせて挙行された。3月には「平安神宮」が完成し、記念祭は10月22日から3日間にわたって挙行された。25日には紀念祭の余興として時代行列が行われ、翌年からは平安神宮の「時代祭」として現在に続いている。
内国勧業博覧会は、1877(明10)年から東京上野公園で、第1回から第3回まで開催された。そして、平安遷都千百年紀念祭にあわせての強い誘致運動の結果、1895(明28)年の第4回内国勧業博覧会の開催地は京都に決定された。京都市の政財界は総力を挙げて誘致活動を展開し、国務大臣も関与する国家的な行事とされた。
内国勧業博の開催地は岡崎(現左京区)の地に決定され、まず記念事業として、この地に平安宮朝堂院大極殿と応天門を、実物の8分の5の規模で復元した神殿が造営され、桓武天皇を奉祀する「平安神宮」として3月に完成した。
記念祭式典は、勧業博開催中の4月に催される予定だったが、諸事情で延期され、10月22日から3日間にわたって挙行された。そして10月25日に行われた時代行列は、翌年以降、平安神宮の「時代祭」として、毎年この時期に開催されるようになり、葵祭・祇園祭とともに京都の三大祭りとされている。
勧業博の会場となった当時の岡崎は、水田と蕪(かぶら)畑が広がる土地だったが、その地に、工業館・農林館・器械館・水産館・美術館・動物館や各府県の売店飲食店などが建てられた。出品点数17万点、入場者は4月1日から4か月の会期中、113万人をこえる盛況だった。
ほかにも、平安遷都千百年紀念祭を行うに際して、平安京をひらいた桓武天皇のゆかりの寺社名勝遺跡保存のための補助が、熊野神社拝殿・坂上田村麻呂の墓・東福寺山門・神泉苑・長岡京遺跡など31件に適用された。
また記念事業のひとつとして平安京の実測事業がなされ、羅城門の位置が確定され、「羅城門遺址(南区唐橋羅城門町)」の石標がその地に建てられ、大極殿の位置も実測して定められ、「大極殿遺阯(上京区千本丸太町上ル)」の石標が建てられている。
そして、記念祭や博覧会で海外や全国各地から京都を訪れる観光客のために、京都の寺社は特別拝観を実施し、建物や宝物を一般公開した。これは、「近代観光都市京都」という新しい顔を全国に発信するとともに、廃仏毀釈の波に襲われた寺院仏閣の復活の起点ともなった。
平安遷都千百年記念祭と第4回内国勧業博覧会の主会場となった岡崎公園は、その後、次々と施設が設置され整備されていく。京都市美術館(京セラ美術館)・京都国立近代美術館・京都会館(ロームシアター京都)・京都市勧業館(みやこめっせ)・岡崎グラウンド・京都府立図書館・京都市動物園など、平安神宮を核に京都の文化・観光・産業施設が集積し、琵琶湖疏水の水路が脇を流れている。