京都回想記【27.高校生から受験浪人に】
鬱状態に落ち込んだまま高3の新学期を迎えても、一学期の中間試験の直前まで登校できなかった。なんとか中間試験にのぞんだが、もちろん惨憺たる結果だった。鬱状態からは徐々に恢復しつつあったが、根を詰めて机に向かうとまた復活しそうなので、その後の高3生活は例の4人組で、街中を徘徊しながらぶらぶらと過ごした。
高校三年生という受験期の年にぶらぶらと過ごしたのだから、大学は何校かひやかし気味に受けたが、当然ながらどこにも受からなかった。当時はのんきな時代で、まわりの友達もほとんど受験浪人ということになり、近くの地元予備校に通う。
当時は現役生が大学受験のために予備校に通うということは皆無で、浪人生のための予備校だった。公立高校生も「4年制公立高校」などと自虐的に呼んで、3年間遊び惚けて、1年浪人してから適当な大学に潜り込む、という意識だった。ということで、近くの予備校では高校の続きみたいな顔見知りが多く、そこでつるんでまた遊びに行くという状況だった。
自分はそれを避けるように、少し離れた予備校を選んだが、結局予備校の授業にも着いて行けず、夏休み前には通わなくなった。高校も予備校も理数系を選択していたが、肝心の物理・数学がさっぱり分からなくなっていた。その頃からは志望を文系に変更して、経済学部にしたが、確固たる信念があったわけでもなかった。
これまでぶらぶら過ごしてきたので、その気になって取り組めば何とかなると思っていたが、