京都回想記【26.高校時代 5】
高2から高3の間はクラス替えが無かった。クラスになじみ損ねて学校が楽しくなくなった。授業をサボってはあぶり餅屋にたむろしたり、例の3人で学校周辺の喫茶店めぐりなどをしていたが、2年生になってからMが仲間に加わって4人組となった。授業を欠席することは、ますます多くなった。
2年生も二学期末になって、さすがにこれではまずいと、学習の遅れを取り戻そうと思って、見向きもしてなかった教科書を開き始めた。ちょいと気張ればすぐに取り戻せるだろうと思っていたが、これが思いのほか進まない。一ヵ月ほど根を詰めたせいか、夜中に精神的に不安定になって、ウィスキーをラッパ飲みして誤魔化そうとした。しかしこれが却っておかしくて、翌朝まで一睡も寝られなかった。
今から思えば鬱病の初期状態だったのだろうが、当時は明快な定義も無く、たんなるノイローゼと言われた。医者を変えたりしても安定剤をもらう程度で、一向に快方に向かわず、さる開業から提案された電気ショック療法というのを、藁にもすがる思いで受けた。
これが効果があって、麻酔からさめるとスーっと気分が快適になっていた。その後、また戻るので数回受けることになったが、この療法が契機に正常に戻っていった。すでに三年生になる前の春休みになっていたが、元気が出てきたので、これまでの生活を立て直そうと思った。
思春期の片思いみたいなモヤモヤをはっきりさせようと、思い切ってO子の自宅を訪れて、その旨を伝えたら、付き合ってる人がいるのと言われて、またもやがっくりとして落ち込んだ。そのまま三年生の新学期が始まったが、登校する元気も出ず、一種の引きこもり状態になった。自宅にAが様子見に来てくれたようだが、会うことも出来ず帰ってもらった。
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