京都回想記【44.一般チェインストアに担当店が変わる】
1978(昭53)年、そろそろ30歳になろうかという年の4月に結婚し、中京区壬生の公団住宅で新世帯をもった。初めて北区の実家を離れ、まち中で生活をすることになった。学生時代に通学で利用した阪急電車の四条大宮にも近く、生活には便利な街で、堀川通に出れば市バス一本で会社まですぐだった。
担当もデパートからはずれ、市内の量販店をすべて担当することになった。といってもデパート部の管轄は直契約の量販店だけで、一般化粧品店がテナントとして入ってる店は除外されるので、全部で10店ほどだけだった。直契約店は美容部員を派遣するので、店の作業は美容部員任せで、店側と折衝することもあまりなかった。
先述したように、デパート部長とはソリが合わず衝突を繰り返し、まず閑職の量販店担当になったのだが、そこでも決定的な対立をしたため、秋にはデパート部そのものを追い出されることになった。1978(昭53)年の秋からは、一般チェインストアを担当する販売部に所属することになる。
担当地域は、老ノ坂峠に向かう「千代原口」周辺と、そこから奥の「丹波路」(山陰道/R9)一帯だった。京丹波町のR9とR27の別れから先は、福知山の販売会社の管轄だが、もうそのあたりは化粧品店などない山奥だった。つまり京都支社の管轄では、もっともローカルな地域の担当で、それまでのデパートとは極端な違いだった。
最初にデパート担当となった時もそうだったが、新しい環境にすぐに馴染めないタイプで、今回も自分のペースで仕事を進めるのに半年ほどかかった。担当店は郡部に散在するが、やはり主力は亀岡市内だった。なかでも売り上げが大きな店は、K店・M店・H店の三つだった。
K店は、本店にキャリア十分の奥さんがどっしり構えていて、長男の若嫁が駅前の支店を担当し、さらに街道筋の公設市場内に雑貨中心の店があり、長男が担当するという分担だった。M店は、雑貨卸の老舗で外交は主人が営むが、奥さんは店の化粧品販売に専念している。H店は、駅前の大手スーパー内にテナントとして出店しており、一店としての売り上げは
いちばん大きかった。
「君の瞳は10000ボルト」(アリスの堀内孝雄がソロとしてリリース/1978秋)
ともに亀岡中心街に隣接して店を構えているのだが、当然ながら仲はきわめて悪い。したがって、この3店をどう取り扱がポイントだった。それぞれの店に、ローカル固有の癖があり、当初の半年ほどは様子見で、それなりに手こずった。