京都雑記【14.京都岡崎公園と文化施設の今】
京都の岡崎の地は、京都市左京区の南部に存在する地域であり、この地は平安時代に法勝寺など大寺が建ち並ぶ故地であったが、その後の戦乱で灰燼に帰しており、幕末維新のころには空き地が広がっていた。しかし1895(明治28)年、この岡崎地域で平安遷都千百年紀念祭と第四回内国勧業博覧会が実施されることになり、この地域が再開発された。
当初は平安京の大極殿の地域が予定されたが、紀念祭や博覧会を実施できる空き地は無く、完成したばかりの蹴上疎水が流れ、利便がよくなったこの岡崎が着目された。平安京の大内裏の復元が計画され、平安京の正庁であった朝堂院を模して「平安神宮」が造営され、実物の8分の5の規模で復元された。
この会場跡地はその後整備が進められ、1900(明治33)年、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)のご成婚に合わせて動物園の開設が決定され、1903年(明治36年)4月1日、東宮御慶事記念動物園として開園する。これが現在の「京都市動物園」で、市民には岡崎動物園と呼ばれて親しまれており、東京上野動物園に次いで日本で2番目に古い動物園である。
同時に勧業博覧会場跡地は「岡崎公園」と称され、公園内には1909(明治42)年に「京都府立図書館」が移転設置され、さらにいくつもの文化施設が設置されてゆく。1933(昭和8)年に「京都市美術館」が開館、1937(昭和12)年には「京都市立勧業館」が竣工した。戦後にも、1960(昭和35)年に「京都会館」、1962(昭和37)年には勧業館別館が改装され「京都国立近代美術館」となった。
勧業博にさいしては、京都七条(現JR京都駅)から岡崎勧業博会場まで、日本最初の市街電車で結ばれ、その電力はこれまた日本最初の蹴上水力発電所の電力でまかなわれた。岡崎は、上記文化施設等とともに、まさに京都近代文化の起点となったのである。
これらの文化施設は老朽化が進んだため、近年に次々と改装改築された。京都市勧業館は全面的に建替えら、通称「みやこめっせ」とされて、京都府最大の展示場延べ面積を誇るイベント会場となった。京都市動物園も全面的にリニューアルされ、新しい展示様式とともに市民のリクレーションの場となった。
ほかにも、京都市立美術館が全面リニューアルされ「京都市京セラ美術館」となり、京都会館は改築改修にともなって「ロームシアター京都」となったが、前川國男設計京都会館は文化財として重要とする異議もはさまれた。
しかし「京セラ美術館」や「ロームシアター」という新たな呼び名は、いわゆるネーミングライツという命名権売却によって企業名がかぶせられることになり、古くからの市民には元の施設が何か分からないという声も寄せられている。
ほかにも、岡崎ではないが、「わかさスタジアム」だの「たけびしスタジアム」だのと言われると、もはやどこにあるのかもわからない。それぞれ「西京極球場」や「西京極運動競技場」の時代が懐かしいと思うのは、もはやロートル化した元市民の泣き言でしかないのか(笑)
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