郷土史散策【12.難読駅名 嵐電に乗る】
まずは無作為に、難読と思われる駅名を挙げてみる。
(嵐電嵐山本線)
西院・蚕ノ社・太秦広隆寺・帷子ノ辻・有栖川・車折神社・鹿王院・嵐電嵯峨
(嵐電北野線)
等持院・龍安寺・妙心寺・御室仁和寺・鳴滝・常盤
嵐山本線は、「四条大宮(しじょう おおみや)」を起点として、途中「帷子ノ辻」で北野線と合流し、終点「嵐山」に至る。阪急京都線の「四条大宮」駅もあり、かつてはターミナルとしてにぎわったが、阪急電車が河原町まで延伸し、ただの通過駅となってしまった。
次が「西院」で、嵐電駅では「さい」と表記されるが、地下を通る阪急の駅では「さいいん」と読まれる。その謂れもいろいろあって、淳和天皇の後院(西院)があったことによるとか、この世とあの世の境目とされる「賽(さい)の河原」があったというものがある。 「蚕ノ社(かいこのやしろ)」は、太秦森ヶ東町にある神社に由来し、本殿の右の摂社「養蚕神社(こかい じんじゃ)」は、大陸から織物技術を伝えた「秦氏」にゆかりが深く、ここから「蚕の社」の通称が生まれた。境内に「元糺(もとただす)の池」があり、その上段には珍しい「三方正面の石造の鳥居」が建っている。
「太秦(うずまさ) 広隆寺」は、「広隆寺」や「太秦映画村」へのアクセスポイント。この地は、半島からの帰化人「秦一族」の所領として栄えた。日本書紀に「秦酒公(はたのさけのきみ)が絹等をうずたかく盛って奉納したことから、禹豆麻佐(うつまさ)の姓を賜った」ことが記されている。
「広隆寺」は秦氏の氏寺であり、聖徳太子信仰の寺でもある。広隆寺にある「弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)」は国宝指定第1号とされ、昭和35(1960)年)8月、京大生が菩薩像に抱き着こうとして、右手薬指が折れるという事件があった。
「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」、カタとは丘山に沿う地形で坂・崖を意味する言葉。「都名所図会」が「上嵯峨、下嵯峨、太秦、常盤、広沢、愛宕などの別れ道なり」と示すように、古くから分岐点としての役割を担っており、現在もこの駅で北野線と嵐山線が分岐する要所となっている。
地名の由来は諸説あるが、嵯峨天皇の皇后にあたる壇林皇后の嵯峨深山谷への葬送の際に、棺を覆った帷子の衣が風で落ちた、という逸話が有名である。壇林皇后は死に臨んで、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言し、帷子辻において遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示したという。その時、皇后の遺体に掛けられていた帷子が風に舞ったのである。
「有栖川(ありすがわ)」駅は、大覚寺からの流れでる清流の有栖川に由来し、有栖川の歴史は古く、徒然草にもその名が見られる。有栖は「荒瀬」がなまったものか。開業当初の停留場名は「嵯峨野駅」だったが、観光名所がある嵐山と勘違いされるので変更された。
「車折(くるまざき)」は、近くの「車折神社」に由来する。車折神社は、後嵯峨天皇が嵐山に来られた際、社の前で車の轅(ながえ)が折れたので「車折大明神」の神号が贈られたことによる。商売繁盛の御利益があるされ、境内には芸能神社があり、奉納した芸能人の名が記された朱の玉垣は圧巻。











