京都回想記【25.高校時代 4】
高一になったころは、まだ中学生気分が抜けず、あまり女子も意識することがなかった。二学期になって、われわれ3人がクラスで一緒にいることが多くなった。その時期に、クラスに女子でも仲良しグループの4人がいて、なんとなくわれわれ3人組と相性がよさげで、たまにちょっかいを掛け合う場面もあった。とはいえ、とくにグループ交際とか個人的に付き合うとかは無くて、子供のお遊びレベルでしかなかった。
「青い山脈」のような青春ロマンがあれば良いのだが、実際はその気配さえなかった。書くほどの何もないのだが、今後とも書くことも無いだろうから、この機会に少し書いておこう。とにかくわれわれのグループは、A、K、と私Sとしておこう(高二からMが加わるのだが、この時は登場しない)。そして、多少ながら交流があった女子の4人グループは、A子、M子、O子、S子としよう。
たまたま、それぞれのグループが、クラスで一緒に行動しだしたのは、高一の二学期からだった。先に書いたが、その中でもなんとなくO子が気になる存在だったが、まったく口をきいたことも無かった。そして、いち早くKがO子を好きだという噂が広がったため、言い出しにくくなっていた。
女子グループでリーダー的存在はM子で、地方新聞の読者投稿欄にわたしが稚拙な投稿をしたのを目ざとく見つけて、それを指摘されて恥ずかしい思いをしたりした。M子は小柄ながら見た目かわいげな容姿なのだが、性格的にはちょこまかとしてちょいとおせっかいなとこがあり、あまり女子として意識されることが少なかったようだ。ある時、われわれ仲間のリーダー的だったAが、自分の掛けていた伊達メガネのような黒縁眼鏡で、鼻の付け根にかかる場所にインクをぬりつけて机に放置した。すると案の定、好奇心旺盛なM子がそれを掛けてみた。鼻頭を青く染めたM子を見て、みんなで笑ったもんだ。
A子はおかっぱ頭で小柄、ざっくばらんで気軽に話せそうなタイプで、異性を意識したりさせたりするという気配は少なかった。二年生になってクラス替えがあり、みんな別々になったが、三年生の体育祭前夜祭の時だったかな。夕方からグラウンドでファイヤストームを焚いて、自由参加のフォークダンス大会がある。
各自が男女ペアで参加するのだが、なぜかこの時ばかりは女子が男子を誘うといった不文律あったような。もちろん単独参加してもよいが、女子に誘われた体裁をとらないと恥ずかしいような雰囲気があり、そういう機会を得られなかったもてない男子は、参加しないで部屋でくすぶっているという感じだった。
自分たちも後者の類で、一二年生のときはグラウンドにはひやかしに行っても、すぐに仲間とともに別のとこに遊びに行った。三年生になっても、また不愉快なフォークダンスの日がやってきたなと、自部屋でくすぶってると、なんとA子がママチャリで誘いに来てくれた。ということで、嬉々として参加できたのであった。
S子とは、入学して間もないころ、学校からの帰り道が一緒になり、入学したての高揚期でもあったのか、デートに誘って映画を観に行ったことがあった。プレスリーが歌って踊りまくるという娯楽映画だったが、中年がかって太り気味のプレスリーの動作はゆるく、新人のアン・マーグレットに食われ気味で、つまらなかった。そのせいでか、帰り道でも二人の話は弾まず、付き合いはそれっきりになっていた。
その後、われわれ仲間の交遊が始まってしばらくしてから、AがS子を好きだと言い出した。その前後に、M子がAに、私たちの間で映画でデートするほどのカップルがいるんよ、などと言っていたらしいが、それが自分のことを指しているとは、夢にも思わなかった。そんなわけで、O子のこともS子のことも、言い出すことができないままになっていた。
AとKとはどっぷりと付き合う仲間になっていたので、二人がわたしの部屋で酒に酔っぱらって、そのまま徹夜することもよくあった。その翌日、3人で近くの神社境内でうろうろしていたら、AとKが、夕べお前の日記を読んだと言い出した。当時はメモ程度の備忘録みたいなのを書いていたので、それを見られたのだと思った。
そして、やっとお前が好きな子が分かったと言い出した。仕方なしに観念して、実はO子が好きだったんだと自白すると、二人は釜を掛けていただけで実際に読んだわけではなく、しかもM子が好きなんだろうと推測していたらしい。そんなわけで、実際には何にもなく、小学生の好きな子アテッコみたいなうぶな青春交友記であった。