京都回想記【41.新米セールスにも、やっと春が】
年が変わって1974(昭49)年になっても、状況は改善しなかった。さらに百貨店側の売り場改装計画が告げられ、これまで化粧品売り場は一階の入り口に近い一等地にあったのだが、改装ではより奥になってしまう計画であった。それ自体はわれわれ業者側からとやかく言えないので、移動後の化粧品売り場で、少しでもましな場所取りをするしかなかった。
結局、改装オープンしたのは10月ぐらいだった。売り場はきれいになったが、奥まった分、客足は少なくなった。そして私の仕事も、一向に改善の兆しは見えなかった。沈んだ気分が続いて鬱が再発しそうになり、不安神経症から店に入れなくなって、裏の公園で缶ビールを飲んで誤魔化したりしていた。
状況が一気に好転したのは、翌、1975(昭50)年の春のキャンペーンの時期だった。キャンペーンのタイトルは「彼女はフレッシュジュース」というもので、口紅にオレンジカラーを訴求しているが、コピーとしては陳腐に感じた。しかしリリィの歌うCMソングは、私にとっては、やっと春が来たという心情を思い起こさせるものとなった。
状況が変化した要因は、なによりもチーフを変えてもらったことだろう。それまでのチーフを「ビューティコンサルタント」として名目上格上げして、他の店のサブチーフをしていた一歳若い美容部員を「チーフ」に抜擢した。元チーフも同じ売り場の仕事だから、新チーフの彼女にはやりずらかっただろうが、キリっと売り場を仕切って、こちらの指示もその意図をくみ取ってきちんと進めてくれた。
「彼女はフレッシュジュース」のCMソングは、CMの一節しか流されなかったが、CM放映後、問い合わせが殺到したため、あらためて「春早朝」としてレコード化された。その後、化粧品などの「CMソング」は、企画段階からレコード化を前提として「イメージソング」として発表されるようになった。以後、毎年のようにCM曲からヒット曲が生まれるようになった。
'76年秋 「揺れるまなざし」/小椋佳
'77年春 「マイピュアレディ」/尾崎亜美
'77年夏 「サクセス、サクセス」/宇崎竜童&ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
'78年夏 「時間よ止まれ」/矢沢永吉
'78年秋 「君の瞳は10000ボルト」/堀内孝雄
'78年冬 「夢一夜」/南こうせつ
'79年夏 「燃えろいい女」/ツイスト
'79年秋 「微笑の法則」/柳ジョージ&レイニーウッド
当時、資生堂の宣伝広告費が100億円前後、レコード業界全体のの宣伝広告費がほぼ同じの100億円前後で、つまり、全レコード会社の宣伝広告費が資生堂一社の宣伝広告費に及ばないというわけだから、タイアップ企画の曲がヒットするのは間違いなかった。だがしかし、オイルショックの後には高度成長は終局を迎え、CMのヒットは、一向に化粧品の売り上げに寄与することはなかった(笑)
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