京都回想記【39.やっと卒業、社会人となる】
何やかやとありながら、やっと大学を卒業することになった。留年したため同期卒業生に知り合いもいないので、卒業式には出なかった。卒業証書は後輩に頼んで、ゼミの研究室に放り込んでおいてもらった。就職先は化粧品の資生堂に決まっていた。5年生になった4月ごろには大手の採用はほとんど決まるのだが、自分は今回も就職活動はスルーしたままでいた。一般の会社には入りたくないので、マスコミや広告代理店は採用試験が5月ごろになるので、それまで待っていたわけだ。
しかし、それらは競争が激しく、ほとんどが一次のペーパーテストで落とされた。一般の企業はほぼ内定済みだったので、また新保教授に頼みに行った。新保先生は手元に来ていた求人をいくつか示してくれた。多くが製造業大手だったが、唯一、消費者と接点がありそうな会社が資生堂だった。そんなわけで、資生堂の面接を受けて内定をもらっていた。
いくつか面接を受けた会社では、必ず留年した理由を訊かれる。体育会系の部活などに打ち込んで留年したとかいえば、むしろプラス評価になるのだが、自分は、下宿でごろごろ寝てましたと答えて、ほぼ落とされた。しかし資生堂の面接では、どんな仕事をするか考えてますかと問われて、営業職だと思うが、具体的にはどんな仕事になるんですか、と質問を返したら、その面接官は丁寧に説明してくれて、それだけで面接時間が終わり、留年理由は訊かれなかった。それが内定をもらえた理由だと思っている(笑)
1948(昭48)年4月に資生堂に入社。それまで資生堂という会社は、テレビCMなどで見るだけで関心を持っていなかったが、いざ入社が決まってみると、華やかで女性も多い楽し気な会社だと思うようになった。配属は京都支社(販売会社と呼ばれていた)となって、いざ入社式に臨んだ。兄が就職祝いに作ってくれたスーツを身にまとい、資生堂の男性化粧品MG5でしっかり整髪して、入社式会場への階段を上っていると、ベテラン美容部員たちの数人のグループとすれ違った。
すれ違いざまに、そのうちの誰かが「クッサ」とつぶやいたのが耳に入った。よく知らなかったがMG5はすでに低価格帯の商品で、新入社員が安物で出社してきたな、というベテラン美容部員のさっそくの洗礼だったわけだ。その入社式の帰り道、化粧品店に飛び込んで、さっそくワンランク上のシリーズ「MG5ギャラック」を買うことにした。
資生堂は全国に販売会社があるので、どこに配属されるか分からないのだが、運よく京都支社に配属されたので、自宅から通勤できる。入社から半年は商品課に配属される。商品倉庫で出荷作業にたずさわりながら、数千点もある化粧品を憶えるためだという。ワゴン台車を押して、商品棚から口紅など幾つも品番のある小物をピックアップする。退屈な仕事だが、半年のことだと思って我慢した。
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