2024年12月14日土曜日

#京都回想記#【33.再び神戸に下宿する】

京都回想記【33.再び神戸に下宿する】


 1969(昭44)年8月に授業が始まり、紛争の影響で、短縮されて3ヵ月ほどで二年生の前期が終わった。一般に二年間のところが多いが、神戸大では一年半で教養課程を終えることになっていた。変則で11月ごろから後期が始まったが、専門課程の経済学部の講義に臨むことになる。教養部で留年を予定していた私も、紛争のどさくさで進級してしまったのである。

 張り切って経済学部に入学したものの、教養課程でのあまり意味のないカリキュラムや、大学封鎖で一年近く授業が無かったりして、すっかり意欲を無くしていた。本格的な経済学部の授業では、やはり「経済原論」が面白かった。前半後半に分かれた通年講義であったが、やはり近代経済学の理論を取りまとめたもので、初めて、経済学の一端にふれた気がした。原論の講義だけは熱心にノートを取り、今も残してある。

 再び神戸での生活が始めたが、それは学業の関係だけではない。京都でのO子との関係が、完全に途切れたと思ったからでもあった。京都でそれなりに充実した生活を送っていたが、鬱から完全に脱出した夏ごろからは、O子にもアプローチしていた。彼女の自宅を訪れ、近くの商店街の夜店の道に連れ出すことにも成功した。

 出店の白熱電灯のもとで、二人で歩道を歩きながら話したが、なかなか話がはずまなかった。うつむきながら小声でこたえるだけで、一向に打ち解けてくれる気配も無かった。彼女に、何考えてるのか分からない気がすると問ってみると、「何も考えてないかららよ」とボソっと返事して軽く笑った。

 取り付くしまもないまま、夜道のデートは終わった。その後も彼女宅を訪れて、家の裏手にある小公園に連れ出したが、二人乗りの座式ブランコに乗りながらも、もはやどうにもならない感じだった。この時点で、完全に彼女に拒否されてるのを感じた。そろそろ大学の専門課程にも進んだので、神戸に下宿することを考え出したころだった。

 その頃に、思いがけず彼女からの手紙が届いた。彼女からすれば、私へのお別れのメッセージなのだろう。夜店を歩いた時のことで「あの時の種明かしししましょうか。実はあのとき貴方に甘えたかったんですよ」と書かれてあった。「なのに貴方は自分のことが精いっぱいで、それに気づいてくれなかった」と、何とも思わせぶりなことがしたためられていた。

 頭をガーンと打たれた気分になったが、もはや遅かった。だが、あきらめきれない自分は、もう一度だけ会いたいと思った。待ち合わせの場所と時間を記して、一方的に手紙を送った。場所は、荒神橋のジャズ喫茶「しぁんくれーる」にした。ここなら、ひとりポツンと待っていても怪しまれない場所だから。結局、2時間以上も待ったが、とうとう彼女は現れなかった。



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