2024年12月8日日曜日

#京都回想記#【28.大学に入ったけれど】

京都回想記【28.大学に入ったけれど】


 昭和43(1968)年4月、一年遅れで神戸大経済学部に入学した。経済と経営がともに定員220名だったが、経済は女子がゼロ、経営に2人居ただけだった。昨今、女性でもMBAなど取って経済経営界で大活躍してるのを見ると、隔世の感がする。

 入学式で、高校の詰襟に白いゴムの入った学帽の新入生が、入学式の講堂はどちらですか、訊ねてきた。あっちと適当に答えたが、同じ新入生だから知るわけがない。質流れの背広を着ていたんでひねて見えたのだろう(笑)

 灘区の山手に下宿した。三畳の間が襖で仕切られて3部屋並んだ木造バラック、その一つに奥に押し入れがあるだけだった。それでも当時は何とか生活できた。入学当初はかなり張り切っていたのか、神戸の街をあちこち動き回った。教養部の新入生歓迎祭や寮祭にも行った。いろいろ動き回って一段落すると、ちょっと気分が落ちてきた。

 いわゆる五月病といわれるもので、下宿でひとりになると理由もなく物悲しくなる。下宿の前の川沿いにある小公園で、フォークルの「悲しくてやりきれない」をひとりで歌ってたりした。そんな時に、高校時代にひとりで好きだと思っていたO子から、突然手紙が来た。こちらは振られたと思っていたから、手紙には驚いた。合格おめでとうということと、近々に神戸大グラウンドで属してるテニス部の試合があるという内容だった。

 当然、試合会場に出向いた。試合後に下宿に立ち寄るように伝えて、ちゃんとやってきたが、そこは如才なく同僚をも連れてきたので、その場での話は弾まなかった。しかしそれで彼女との接点が復活し、その後、何度か会うことになった。その経緯は次回に回す。

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