京都回想記【38.学生生活は5年目に】
留年が確定して大学5年生となった。さすがに親の負担も減らさねばならないので、神戸の下宿は引き揚げて、実家から学校に通うことになった。阪急電車で十三乗り換え、片道2時間の通学時間になるが、取り残した卒業単位の半年分を一年を通して取ればいいので、通学する日にちも少なくて済む。その分バイトに費やして、親の負担を減らそうと考えた。実際、両親に負担してもらっていたのは、おもに下宿代と生活費であって、学費そのものは年間12000円、月当たり1000円と言う時代だった。
卒論は通っていたのでゼミ演習には出なくても良いのだが、議論は楽しいので新保先生に頼んでオブザーバーとして参加させてもらった。取り残した卒業単位は、ほとんど文学部でとることにした。ディスカッション形式の演習講座は、好きなことを言えるので通常の講義より楽しいのだが、文学部での講座数は少なかった。そんななかで、国文学演習という講座を受講した。
このことは前に書いたのだが、担当は谷崎や三島を専門に研究している教官で、私の担当発表する回では、谷崎の初期作品を取り上げ徹底批判した。ふと気が付くと、並びの席の女子学生が熱心に注目していたようだった。帰り際に声をかけてみた。聞いてみると、阪神間にあるKg大学をすでに卒業していて、文学に興味が尽きないので、神大文学部の講義に潜り込んでいるのだという。
そんなわけで、あらためてデートすることになった。鬱からの回復期に放浪した奈良の西ノ京のひなびてのどかな街を、ともに歩いた。道の真ん中に大木があって、そのわきに小さなお堂が建っていた。特に何かに使われている気配もなく、中はがらんどうだった。そこで自然の成り行きのように口づけをした。ちぃとロマンチックなシーンではあったw
けっこう積極的に、彼女をあちこち連れまわした。神戸の繁華街をうろついたあと、夕方になって大学のキャンパスに上った。キャンパスは六甲山の中腹にあるので、芝生に寝転んで神戸の百万ドルの夜景が眺められる。彼女は口づけまでは許したが、それ以上は毅然として拒否した。良家の身持ちの固いお嬢さんというとこか。
留年してのこの5年生の時が、もっとも大学生活を楽しんだのかもしれない。夏休みになると、さっそく京都でバイト先を見つけた。女性下着を主とする衣料品を扱う大手アパレルの倉庫作業だったが、高校の仲間たちも多く集まって、なかなか楽しく作業をした。ここでも、事務の女子と仲良くなって、しばらく付き合った。
夏休みが終わって5年時の後期が始ったが、卒業に必要な単位はほぼ取得したので、最終学期はほとんど京都でバイト三昧となった。広告の屋外看板などを設置する広告企画会社で、出張取り付けなどであちこちに出張するので、屋内作業でなくて楽しい。滋賀県の琵琶湖に沿った湿地帯に突如出現した、雄琴風俗ヘルス街などにも出張作業があった。
建設中の「トルコ大阪城」の窓から、体を乗り出して飾り金具を取り付けていると、道を挟んですぐ向かいには「ヘルス江戸城」があったりした(笑) あるいは、京阪三条にあった高級キャバレー「ベラミ」の作業もあった。屋根裏に上がって「美空ひばりショー」の懸垂幕を垂れ下げる作業だったが、うっかり屋根瓦を踏み割ってしまった。
表から見れば、壁飾りなどで覆われて気が付かないが、なんと木造3階建ての瓦屋根だった。しまったと思ったが、知らんふりして過ごした。美空ひばりショーの最中に雨漏りなどしたらえらいことだw このベラミは、その後、山口組三代目田岡組長の狙撃事件があった場所だ。田岡組長はひばりの後見人的立場で、そんな縁で京都に来た時には必ずベラミに立ち寄ったとされ、それで狙われたらしかった。
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