2024年12月18日水曜日

#京都回想記#【36.ぐだぐだ卒論執筆記】

京都回想記【36.ぐだぐだ卒論執筆記】


 4年生になり就職の内定も取れたが、将来どの方向に進むか一向に定まらずのままだった。文学にははまり込んでいるが、とことんこの道で進んでいくかは、自分の才能に自信がもてず、しかもこのまま文学の深みに入り込んでいくのには、ある種の恐さを感じていた。

 ゼミでは、卒論のテーマを決めて、それに沿って研究発表するという段階に来ていた。担当教官の新保教授の専門は日本経済史だったが、通常の歴史的時代的考察ではなく、計量経済的な統計数学的手法を使って分析するという新しい取り組みだった。

 近代経済学自体が、このような数学的な処理を多用する特徴があるのだが、私自身はすでに数学を投げており、専門的な経済と取り組むのはあきらめていた。そこで卒論ではいっさい数学を使わないで済ませるテーマを選んだ。新保教授の方針は、経済に関係すれば何でもよいという、きわめて寛大なものであった。

 自分は西陣近辺で育ち、両親も賃織(ちんばた)という織物職人だった。西陣の織物業界は、不思議にもいまだ「問屋制手工業」で成り立っていた。親方(織元)が唯一の資本家で、帯の材料から織物図案の作成企画まで引き受けて、それを織家(おりや)で作業する織物職人に委託して織り上げさせる。しかも、その販売も織元の責任で行う。

 この問屋制家内工業で成り立っている西陣の経済的歴史的要因を、解明しようと考えた。これはなかなかユニークなテーマであるし、新保先生も面白いと言ってくれたので、はりきって取り組み始めた。しかし、モデルとする先行的研究はほとんどなく、西陣織の経済的統計データも、あちこちに散在するばかりだった。

 これは、たかだか経済学の初心者が取り組むのはとても無理と思い当って、あっさりとあきらめた。この当時、西欧以外に、アジア地域などで資本主義的経済が近代化に成功しているのは日本だけだった。そこで、なぜ日本だけが資本主義のテイクオフに成功しているのか、その原因を追究したいと思った。

 資本主義的近代化の要因を、文化的思想的な方面から研究した事例は、マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、いわゆる「プロ倫」と呼ばれるものが有名で、しかもかなり短い論文だったので、これはタネ本に最適だと飛びついた。

 それを日本経済に援用した研究に『日本近代化と宗教倫理/日本近世宗教論』(RNベラー)があると新保教授から紹介され、それを元に卒論と取り組むことになった。ベラーの書は、プロ倫でのプロテスタンティズムに相当するものを、江戸時代の仏教宗派や道徳思想のなかで探すというもので、浄土真宗などを当たったが必ずしも一致せず、最終的に「石門心学」に相当性をもとめた。

 しかし、西欧のキリスト教一神教における文化的収斂性と、一般庶民の道徳として説かれた心学では、その浸透性や普及度がまったく異なると考えて、卒論でもベラーを批判する論調となった。ということで、タネ本としても使えず、卒論は支離滅裂な論調となってしまった。

 そんなわけで、卒論提出期限が迫っても、いたずらに文学書に読みふける日々だった。いよいよ取りまとめねばならないと思い出したころに、ひどい風邪で寝込んでしまった。卒論の必要枚数は原稿用紙100枚と言うことだったが、そんな長い論文など書いたことが無いので、ひたすら思いつくことをランダムに書き連ねて、枚数をうめることだけだった。

 それでも足りない部分は、どうでもよいようなグラフや統計データを切り貼りして、やっとこさ100枚ちょうどに仕上げた。期限ぎりぎりに提出に行ったが。教務に表紙と目次を付けてくれと言われ、せっかくちょうどに仕上げた100枚をオーバーすることになった。ぐだぐだの卒論執筆記である(笑)

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