京都回想記【23.高校時代 2】
入学した時は、まだ正門や本館は建築途中で、かなりオンボロの木造旧校舎のままだった。東側今宮門前通に面した正門を入ると右手には、まだ旧女学校時代の木造校舎が使われていて、石畳の通路をさらに奥に進むと石段を上って、高台にでる。丘の上と呼んでたそこには、体育館やちょっとした広場がある。
団塊世代のピークにあたるわれわれが入学すると、新館はまだ建築中で教室が足りなくなり、その丘の上に空き地に急造のプレハブ教室が作られ、それがわがクラスの教室だった。何ともみすぼらしい教室だが、ここで一年生の期間、楽しく過ごした。施設や設備は貧弱だが、一歩外へ出ると大徳寺や今宮神社の境内に囲まれ、さらに南には船岡山公園があり、緑豊かな環境に恵まれていた。
高校では校則で縛られるもことも無く、自由に振舞えた。制服も無く、学外に出るのも自由、多くの教師は出欠も取らず、たとえ欠課となっても1/3以内なら大丈夫と聞いていた。そんなわけで、しょっちゅう授業をサボり、仲間と校外をうろついた。周辺は大徳寺の境内や今宮神社や船岡山など、時間をつぶす場所には事欠かない。
なかでもサボり組み連中がたむろしたのは、今宮神社参道にある「あぶり餅」だった。向い合せに二軒あるうち、われわれの学年は「かざりや」と決まっていた。なぜか、一和とかざりやに、学年ごとに向い合せに対峙して、たまり場としていた。通学のとおりみちなので、学校に行く前に立ち寄ってみると、かならず誰か仲間たちが居て、そのまま上がり込んで放課後になるまで遊んでることも多かった。
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