2024年10月8日火曜日

#京都回想記#【21.中学三年生、最終学年】

 京都回想記【21.中学三年生、最終学年】


 昭和38(1963)年4月に、中学最終学年の三年生となった。新しい教室はグラウンドから高い段差の階段をン上った高台にあって、東下にグラウンド、さらにその向こうの東山連峰には、ひときわそびえ立つ比叡山が望める。授業中も、ひたすら窓の外の景色を眺めてたw

 クラスも結構賑やかな連中がそろっていて、常に一緒に連れ歩くような仲の良い友達もできた。そのため、クラスでも中心的なグループとして、昨年度とは違って、快適な学級生活を過すことになった。中三になっても特に進学を意識することも無く、適当に定期試験に間に合わせる程度だった。ただ三年生になると、高校進学希望者は、民間業者の模擬テストを受けるように指導され、年間8度ほどある模擬試験を受けた。

 京都市内の進学希望者がほぼ受けるので、1万人近くが受けるテストだった。第一回目は隣の加茂川中学校で受けるなど、普段ないような雰囲気で結構楽しかった。現在ではありえないが、
試験の結果は点数順に上位100位までが発表された。自分は普通に受けてとりわけよくできたという感覚もなかったが、結果は上位から3番目の得点だったようだ。なんか気抜けして、その後の最終学年は仲間と遊び倒した。以後の模擬テストは、当然低下する一方だったが、それでも100位までのリストには顔を連ねていた。

 修学旅行はこの時期、公立の小学校は伊勢、中学校は東京、
高校は九州というのがほぼ決まっていた。当時の国鉄では、修学旅行専用列車を走らせていた。京都から東京まで直通で走るので、引率教師は乗り降りの心配をしなくて済むので重宝しただろうが、ダイヤの合間をぬって進むので、1時間ぐらい駅で待機とかが平気であって、ほぼ10時間ほど掛かった。都内観光は貸切バスで、浅草・国会前・東京タワーなど定番コースまわったが、前夜の旅館での枕投げなどで、バス内ではほぼ全員い眠っていた。

 年が明けて三学期になると、早々に一部の私立高の受験が始まる。50人学級のうち、1/3が公立高、さらに1/3が私立高、残りは就職組という風に分かれる。当時は特別な進学高も無く、上位組はほぼ近くの公立校に進む。それ以外が私立ということになる。なんとなく受験を済ませたら地域の公立高校に決まった、という感じだった。そんなわけで、小学校から高校まで、すべて徒歩で通える範囲で、みんなと決まったコースを歩むという風に、これという変化も無い学生生活だった。

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