京都回想記【24.高校時代 3】
一年生での教室は、校地の最奥のプレハブ校舎だったが、他クラスとの接点も少なく、その分クラス生徒の結びつきは強めになった。当初は、中学時代の同級生らとの付き合いが多かったが、そのうち他中学出身者とも付き合いができるようになった。中でもAやKとは、夏休みごろから密接に付き合うようになった。
Aは、他の街で一旦高校を中退して、あらためて紫野高校に入学し直したので、一年分の歳を食っていた。その分、いろんなことをよく知っており、元来の社交的性格もあって、多くのクラス仲間を引き付けた。10人ぐらいを引き連れて繁華街に出ると、喫茶店や食堂など、中学生までは行ったことも無い店でも、平気で入って行った。
Kもまた話が上手で、多くの生徒に人気があり、顔が広かった。AとKの様子を見て、この二人とより親密になりたいと思っていたが、二学期に入ること、われわれ三人が連れ立って、学校周囲をうろつくことが多くなった。二人はそれぞれ生徒間に人気があったが、自分には社交性がなく、この二人を通じてはじめて他の仲間とも接点を結べた。
それでも多くのやんちゃで個性的な奴らと接点ができて、やたら高校生活が楽しくなった。そういうヤンチャ仲間のたまり場となったのが、今宮神社のあぶり餅屋の座敷であった。今宮神社参道に「一和」と「かざりや」が向い合せに営業していて、われわれの学年は、もっぱら「かざりや」に居座った。
授業はサボって、奥座敷に上がり込んで、まる一日すごすこともあった。あぶり餅は一人前50円で、土瓶にいれたお茶はお替わり自由、それで一日居座っても文句は言われない。碁盤や将棋盤が置いてあり、座布団を囲んで花札でも遊んだ。わずかな小遣いを賭けて遊んでたら、襖の向こうから「お前ら、何してる」という教師らしい声がした。
慌てて座布団を返して花札を隠し、吸い殻で一杯の灰皿をひっくり返すやら大騒ぎ、パニック状態で廊下に逃げ出す奴もいた。一段落つくと、実は遅れてやってきた仲間の一人が、教師の声色を使っていたずらしたのだと分かって、そいつはフクロ状態w かざりやは裏木戸から街道に出れるのだが、一和は行き止まりで古井戸に飛び込むよりほかない、かざりやでよかったと、変な自慢をする奴もいた。
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