京都世界遺産を深掘り【08.宇治上神社】
「宇治上神社(うじがみじんじゃ)」は、宇治川東岸の朝日山の山裾にある神社で、祭神は「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)命」で、日本書紀によると応神天皇の子で仁徳天皇の異母弟にあたるという。宇治上神社の近くには宇治神社があり、二社一体の存在であったとされるが、明治になってから両社は分離された。近年の年代調査によると、本殿は現存最古の神社建築で、対岸に同時期創建されたた平等院の鎮守社となった。
宇治橋から京都方面に走る府道から、山手に折れて坂道を進むと「源氏物語ミュージアム」があり、そこから山裾を這うように「さわらびの道」と名付けられた散策道が延びている。その先に「宇治上神社」があり、さらに「宇治神社」がある。宇治神社の境内を抜けて宇治川右岸に行き当たると、朝霧橋という散策専用の朱塗り橋が架けられており、それを渡って対岸の平等院に出れば、ほぼ王朝気分が味わえる。 https://www.ujimiyage.com/user_data/kanko00_04
宇治橋周辺一帯では、毎年10月末ごろ「宇治十帖スタンプラリー」が開催される。「源氏物語」の「宇治十帖」では、光源氏亡き後の世界が、舞台を宇治の地に移して展開される。物語の世界とは言え、周辺にはいつしか宇治十帖の物語を偲ぶ古跡が設けられ、これらの旧跡をラリーポイントとして、楽しみながら宇治十帖を偲ぶというイベントである。宇治上神社と宇治神社の地点には、「早蕨」のポイントが設けられている。
「宇治(うじ)」という地名の由来には諸説ある。「菟道稚郎子命」がここに宮をつくって住まったことによるというのが一般的な説であるが、山や巨椋池に囲まれた土地ゆえに「うち/そと」の「うち(うぢ)」だという説、さらには、文字通り莵(うさぎ)が飛び跳ねていた「ウサギ道(菟道)」からだろうとか、これという定説はないようだ。
宇治という土地は、琵琶湖から流れ出た瀬田川が、山間から平地に出て砂が堆積した扇状地なので、水捌けが良すぎて畑作や稲作には向かず、根を張る灌木である茶を植えたのだろう。琵琶湖のたまり水が源流なので、藻が繁殖していて緑色をしているが、宇治橋あたりではまだ流れが速く、波立つので白っぽくなり、あざやかな鴬色、つまり宇治抹茶のイメージに近い色の宇治川の水となる。
平地に出た宇治川は、観月橋方面を頂点にと、北に向けて大きくうねる。秀吉が太閤堤と呼ばれる護岸工事をしたように、このうねりは洪水を起こしやすい。流れ出た水は、うねりの内側、すなわち南の平地にたまる。これがかつて存在した巨椋池であり、氾濫原として天然の貯水ダムの役割をしていた。したがって広い割には水深はせいぜいが2m程度で、昭和の初め以来の干拓で、ほぼ農地に転換された。一方で上流には天ヶ瀬ダムが築かれたので、巨椋池の役割は消失したのである。
宇治上神社・宇治神社はその歴史起源は古いが、対岸の平等院ほど全国的に著名ではない。明治政府により「村社」に格付けされたためもあり、ローカルな神社のイメージとなっているが、宇治市内では平等院とともに、二社だけが世界遺産「古都京都の文化財」に登録されている。
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