京都世界遺産を深掘り【10.西芳寺(苔寺)】
「西芳寺(さいほうじ)」は、京都市西京区松尾にある臨済宗の仏教寺院で、天龍寺の境外塔頭だったが、現在は離脱して単立寺院となっている。「苔寺(こけでら)」の通称で知られるように、千種類をこえる苔に覆われた庭園が有名である。本尊は阿弥陀如来、開山は行基と伝えられ、中興開山は夢窓疎石である。
伝承によれば、飛鳥時代に聖徳太子の別荘があったとされるが、奈良時代に聖武天皇の意を受けて行基が寺へ改めたとされる。当初は法相宗寺院だったが、鎌倉時代には法然によって浄土宗に改宗され、その後建武年間には荒廃した。室町時代の暦応2(1339)年に再興され、夢窓疎石を招いて臨済宗に改宗された。元の寺名「西方寺」だったが、夢窓疎石によって「西芳寺」と改められた。
「西芳」は「祖師西来」「五葉聯芳」という、禅宗の初祖達磨に関する句に由来する。室町3代将軍の足利義満が西芳寺を訪れ、西芳寺を模して鹿苑寺(金閣寺)を創設したという。西芳寺は応仁の乱で焼失したが、本願寺の蓮如により再興され、8代将軍の足利義政は指東庵を再建すると、西芳寺と鹿苑寺を模して慈照寺(銀閣寺)創建したという。
その後も戦乱や洪水により荒廃したが、そのつど再建され、江戸時代末期になってから、現在のような苔で覆われた庭園なったようで、すぐそばに川が流れる谷間という地理的要因が大きいと言われる。夢窓疎石の作庭とされる名園は当初枯山水の庭だったが、その時の様子が残されているのは一部の礎石と石組みのみで、よく知られる苔の庭は、低湿地という自然環境のもと、木立の中にある黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園として残されている。
庭園内には湘南亭・少庵堂・潭北亭の3つの茶室があるが、そのうち最古の湘南亭は桃山時代に創建され、重要文化財に指定されている。湘南亭は茶室としては珍しくL字型に母屋が造られていて、北側に張り出した月見台が設けられている。この湘南亭は、かの千利休が豊臣秀吉に命じられて切腹する前に一時期訪れたり、幕末に活躍した公家岩倉具視が、幕府の追及を受けたときに、当時の西芳寺住職だった従兄弟を頼って身を隠したと言う。
このほか境内には、「鞍馬天狗」の著者として著名な大佛次郎の文学碑が設置され、その小説「帰郷」の中の一節が、川端康成の揮毫により刻まれている。また高浜虚子の句碑には「禅寺の苔を啄む小鳥かな」という虚子の句が刻まれている。また近年には、禅宗に深く心酔したAppleの創業者スティーブ・ジョブズが、家族とともに西芳寺を何度も訪れたという話しもある。
なお現在の西芳寺は、一般の観光拝観を中止し、読経と写経という宗教行事に参加することを条件に、往復はがきによる事前申し込み制となっている。寺の駐車場もなく近隣の民間駐車場を利用するか、公共交通(阪急電車、京都バスなど)を利用することになる。参観には若干の手間がかかるが、苔寺の近くには、一休さん生誕の地で「竹の寺」と呼ばれる「地蔵院」や、鈴虫の音と和尚の説法で有名な「鈴虫寺」こと「華厳寺」が、徒歩数分の距離にある。
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