2021年6月26日土曜日

#京都世界遺産を深掘り#【13.大雲山 龍安寺】

京都世界遺産を深掘り【13.大雲山 龍安寺】


 「龍安寺(りょうあんじ)」は、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の境外塔頭寺院で、本尊は釈迦如来、山号は大雲山、その枯山水の石庭で知られる。開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承。もともと衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、円融寺の境内地であったが、その後衰退して、藤原北家の流れを汲む徳大寺家の山荘となっていたものを、細川勝元が譲り受け、宝徳(1450)2年敷地内に龍安寺を建立し、初代住職として妙心寺住持の義天玄承(玄詔)を迎え開基とした。

 応仁の乱では、細川勝元は東軍の総大将だったため、山名宗全の西軍の攻撃を受け焼失した。長享2(1488)年勝元の子 細川政元が再建に着手、4世住持 特芳禅傑が中興開山とされる。その後、織田信長、豊臣秀吉らに寺領が寄進された。龍安寺の鏡容池はオシドリの名所とされており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名だったようである。

 江戸寛政年間に、火災で主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈とし、現在に至っている。その方丈の南面に有名な枯山水の庭があり、方丈から庭を眺めて瞑想にふけるひと時が、まさしく禅のこころを体現するとも言われる。そしてさらに南に、幾つかの塔頭をはさみ鏡容池が広がり、その周りを巡る回遊式庭園の鑑賞コースとなっていて、四季それぞれの景観が楽しめる。

 方丈庭園すなわち「龍安寺の石庭」は、白砂の砂紋で波の重なりを表す枯山水庭園で、大小の15の石を配置するだけという極めてシンプルな構成で、いかにも禅における「無」の象徴とされる。この庭は石の配置から「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」の別称で呼ばれることもある。寺伝では、室町末期の優れた禅僧によって作庭されたとさられるが、作庭者は諸説あって定かになっていない。

 寺伝によると、この石庭には幾つもの謎があると言われる。なかでも「虎の子渡し」の謎は、まさにパズルのようなナゾナゾだ。虎には3匹の子供がいて、そのうち1匹は獰猛とされて、子虎だけにすると獰猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。そこで母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時にどのようにするか、というナゾナゾである。答えはあえて書かないので、自分で考えてもらいたい。

 龍安寺の前には「きぬかけの路」が通っており、広めの駐車場もあるので交通の便はよい。公共交通では、京福電鉄北野線「龍安寺駅」下車で徒歩7分と、そこそこ距離がある。市内各ターミナルからは市バスが出ており、「きぬかけの路」の「龍安寺前」下車すると、すぐ目の前に龍安寺がある。一つ手前の「立命館大学前」停まりもあるが、その場合500mほど歩くことになる。

 なお「Google ストリートビュー」では、鏡容池回遊や方丈から石庭まで、疑似散策することができる。


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