京都回想記【43.新しいデパート部長との確執】
1976(昭51)年の秋に上司のデパート課長が転勤になり、あらたにデパート部長が転任してくることになった。新規に上司となる部長は、高卒同期の中でトップを切って部長昇格ということで、どんなキレ者なのかと期待していた。着任してその下で働いてみると、どうやらゴマすりの人間関係だけでここまで成り上ってきたようだった。何より、本社のデパート部長という超えらいさんに取り入ってのし上がってきたという噂が、我々にも届いてきた。
当時、女形で一世を風靡した尾上菊之助(七代菊五郎)に似ているのが自慢で、取引先では「資生堂の菊之助です」などと言って名刺交換していた。デパート部には化粧品担当3人だけで、一年先輩で私が新米の時なにかと面倒をみてくれたHさんと私が、ほぼ現場を仕切っていたといってよい。ところが二人と新しい部長は、仕事の進め方でまったく意見が合わず、まったく言うことを聞かなかったので、一年後ぐらいには二人ともデパート部を追い出されることになった。
その間、残りの一年間はデパート担当を外されて量販店担当となった。当時はダイエーなどの大手量販店とは契約せず、場末の中小量販店ばかりで、販売ルート維持と定価販売のために、安売りや乱転売を避ける目的だけで契約していた。つまり担当セールスには、売り上げを上げることは期待されず、乱転売の監視や美容部員の管理だけが仕事だった。ということで、超閑職に押し込められたというわけだw
それでも、安売り商売で有名な地元スーパーの本部役員と、部長が交渉してきて、低価格商品を500万円分契約してきたから発注しろと言われた。本来なら、部下が売上げ作りのために無理な注文を取ってきたのを、上司が安定取引のためにチェックを入れるというのが筋だが、立場が逆転で、担当者の私の方が納入拒否をしたw
私を抜きにして誰かに発注させたようで、商品課では課員総出で朝まで掛かって出荷準備をしたらしい。ところが支社長(当時は本社待遇の役職で「専務」と呼んだ)が本社と相談した結果、乱売屋として本社まで伝わっていた量販店への納入はストップするように指示されたらしい。朝一番の支社長が商品センターに向かい、課員に事情説明して、徹夜作業で準備した商品を、もとの棚に戻させたということだ。
後日、支社長室に呼ばれて、「君が納品を拒否したそうだな、立場は逆だがその判断は正しい」と言われたw そんなことで、支社長も部長も、二人を他の部門に出すのはやむを得ないと判断したようだ。結局、翌年からは販売課所属となり、チェインストアと呼んでいた一般契約化粧品店の担当に変わることになる。