京都回想記【01.誕生の記憶】
三島由紀夫は『仮面の告白』で、自身が生れたときの情景を憶えているなどと嘘っぱちを書いているが、そんなことは私のような凡人にはあり得ない。おそらく後になってから、母親などから聞いたのだと思うが、憶えていることを記しておくことにする。
生まれたのは昭和23年8月31日、夏の終わりの暑い日だったそうだ。当時は緊急時を除いて、入院出産などはほとんどなく、助産婦の補助のもと自宅出産が普通だった。私の場合には、近所の経験豊かな年配女性が集まって、「産婆さん」として助産婦の代わりをしたようだ。
夏の暑い盛りの日中、一軒おいて隣のオバサンがお腹を押しながら、さあ思い切りいきんで、とかかなりリアルな状況を聞いた記憶がある。3,800gぐらいあるかなり大き目の子で、難産とまではいかないが、生れるまでかなりの時間を要したらしい。
ちなみに、少し成長してから誰しも抱く疑問、自分はどこから生まれって来たのかという質問をしてみたが、母親は「大徳寺の木の下から」とか「賀茂川の橋の下から拾ってきた」という紋切り型の答えでかわした。母親は夜遅くまでハタ織り仕事をしており、祖母に寝かしつけられるという「お婆ちゃん子」だったので、その後、寝床で祖母に尋ねると、普通に答えてくれて拍子抜けした記憶がある(笑)
8月31日という誕生日に関しては、とくに誕生日を祝ってくれるような家庭でもなく、特別な感慨はない。学齢期になってからは、いつも夏休みの最後の日に当り、やり残した宿題をいっぱい抱えて苦闘するという、うれしくない記憶ばかり残っている。
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