2021年7月30日金曜日

#京都回想記#【15.正月の遊び】

京都回想記【15.正月の遊び】


 「盆と正月」と並べ言われるように、年間ではこの二つが家庭の大きな行事だ。そして子供たちにとっても、これらに秋の祭礼を加えたものが、待ち遠しい楽しみであった。ここでは正月の過し方を振り返ってみよう。

 お正月の外遊びというと、凧揚げ、羽根突き、駒まわしなど一通りやったものだが、どちらかと言うと家の中で遊んで過すのが好きだった。普段は朝から晩まで「機織り(ハタオリ)」ばかりしている両親なので、正月ばかりはゆっくり遊び相手になってほしいという気持が強かった。

 すごろく、福わらい、折り紙、カルタ取りなど、相手さえしてもらえれば何でもよかった。両親とも尋常小学校卒という学歴なので、ひらがなに僅かの漢字が読み書きできる程度で、百人一首などを憶えて遊ぶ素養は全くない家庭だった。近所の家庭に混じってやらせてもらい、やっと山辺赤人の次の一首だけ憶えた。

《田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ》

 私がせびってでもやって欲しかったのは花札だった。花札にもいくつか遊びがあるが、二人対面でやる「コイコイ」は高校生ぐらいになってから憶えた。これはこれで、テンポのある激しい格闘技みたいなルールだが、子供の頃の家庭では、もっぱら三人でやる「花合わせ」だった。手札と場札の絵柄を合わせ取って得点を争うというシンプルだが優雅なゲームで、かなり気に入っていた。掘り炬燵に足をつっこみ、盆に盛った蜜柑をむきながら、両親や祖父母と花合わせをするのが至福の時であった。

 小学校に上がる前に、正月のプレゼントとして「相撲カルタ」というのを買ってもらった。子供のころ、相撲が大好きで、近所にテレビが入りだすと、相撲中継が始まる前から押しかけて観せてもらうことが日課になっていた。先方はさぞや迷惑なことだったろうが、それが先にテレビジョンを買えたという、"ノブレス・オブリージュ"だというわけだ。

 相撲カルタで今でも憶えている一枚がある。それは「ぬ」の札で「ぬっと大起(おおだち)四十八貫」というもの。大起は当時の幕内最重量力士で、尺貫法だったので1貫=3.8kgで概算すると180kgぐらいだろうか。今は200kgを越える外国力士がザラだが、当時は、この大起が暗がりから「ぬっと」現れたらぎょっとしたに違いない。

 ついでに尺貫法関連で述べると、昭和33年にメートル法に切り替えられ、それまでの尺貫法は禁止された。帯の織物業なので、仕事で使う寸法はすべて尺差し(クジラ差し)の単位になる。しかしその尺差しの販売も禁止されたため、ヤミで数倍になった高い物差しを買わざるをえなくなったりした。

 「尋常小学校一週間中退」の祖母ともなると、もはや単位の換算は不可能。祖母が買い物に行くのに付いていくとき、肉屋ではいつも、家族分で「百匁(め/もんめ)」と言って買うことになっていた。百匁はおよそ400グラムといえばよいと教わっても、それが憶えられないでいた。さて肉屋に入ってどう言うのかと興味津々ながめていたら、「この肉、500円分おくれやす」だとさ。さすが生活の智慧。

 一方の祖父も、たまたま新聞を逆さにして眺めているので、何してるか訊くと「新聞を読んでる」という。逆さじゃないかというと「字の数をよんでる」とこたえた。祖父母ともひと文字も読めない文盲であったが、それでもちゃんと生活できた時代であった。

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