京都回想記【10.近所の人々2】
ひょうたん屋の斜め向いの家に、Yちゃんが住んでいた。ちゃん付けで呼んでいても、もう40歳近くで、年取った母親と二人で暮らしている。その甥にあたる子供も近くに住んでいて、我々と同年齢で我々の遊び仲間だった。その子に聞いたところによると、Yちゃんは小学校では成績がよくて級長(学級委員)などもしていたそうだ。戦後になっても、経済的に苦しいにも関わらず、大卒資格を取ろうとして、大学の夜間部に在籍したりしていた。
当時は町内で大学に行くものなど皆無、中学を出てすぐに織物職人になるのが普通だった。そういう世界から脱出したかったのだろうが、やはり続かずに中途退学、自宅でこつこつと織物をやって生活していた。気のむいたときだけ仕事して、かろうじて暮らしていける程度に稼ぐだけ。夕方になると自転車でふらふら出かけて、パチンコで時間をつぶしたり、屋台の赤提灯で一杯飲んだりというのん気な毎日。
年老いた母親からすると、買い物炊事や家事はほとんど自分がやっているので、早く嫁をもらって楽になりたいというのだが、Yちゃんには一向にその気も無さそうであった。今と違って隣近所の付き合いも密接で、町内会や町内会の青年団の活動なども活発であったが、Yちゃんは青年団の行事に参加することもなく、町内会の会合に顔を出すこともなかった。
もちろんそういう生活を送るようになったのは、夜学生としての挫折など、他人がはかり知れない内面の出来事があったのだろう。だが、外面だけ見ると、好きな時間に起きて、気が向く時だけ仕事して、気楽に一杯飲んで、眠くなれば寢る。まわりの大人たちからは、近隣の付き合いもせず、ある種の落伍者として見做されていたが、ある意味、自由人で、子供ごころには何となく惹かれるところがあった。
0 件のコメント:
コメントを投稿