2021年7月18日日曜日

#京都回想記#【02.幼時の記憶】

京都回想記【02.幼時の記憶】


 人生最初の記憶は何だったのか。父親が、祖母の田舎である富山に行ってきて、駅で受けとった釣り銭を示しながら、「これが新しい10円硬貨だ」と見せていたという記憶がある。いま確認すると、十円銅貨は昭和26年から製造を始めたが、発行は28年となっている。ずっと26年と思い込んでいて、3歳からの記憶とはすごいと考えてたが、実際は28年、5歳のころと確認して、それならあり得ると納得(笑)

 人間の記憶には不思議なところがある。最初に見た十円玉の記憶が、そのまま維持されているとは思えない。その後、何度も思い出し、そのつど変形されているはずである。場合によっては、親などから聞いた話を、そのまま自分の経験と思い込んでしまっていることもあるだろう。

 町内会のハイキングで、清滝川に沿って歩いた。川辺で休息したとき、川中の岩に座って、リンゴをカメラに向け微笑んでいる写真が残っている。昭和27年と記してあるので4歳の頃と思われる。このときすでにリンゴを齧っていたのだが、写真を撮るというので急遽かじっていない面をカメラに向けて撮った、そのような記憶がはっきりある。これは、その後写真を見て思い出し、何度も反芻しているから鮮明に思えるのだろう。

 両親は織物職人で、毎晩遅くまで夜なべ仕事で機織(はたおり)をしていた。休日は「おついたち(1日)」と「お中にち(15日)」と月に2日だけ。そんなわけで、夕飯の後でも居間で独り遊びなどする時間が多かった。薄ぐらい白熱電灯の下、客間と居間の間の敷居の溝の上で、ビー玉を転がして遊んでいる情景が浮ぶ。これは具体的な情景と言うよりも、孤独な心象風景としてインプットされている。童謡などによくみられる、幼い子供の独り遊びの孤独な状況などが重ねあわされて、しっかりと定着したものと考えられる。

【雨】作詞/北原白秋 作曲/弘田龍太郎

雨が降ります 雨が降る
嫌でもお家で遊びましょう
千代紙折りましょう たたみましょ

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