京都雑記【07.京都市電ほか、なつかしの昭和の路面電車】by「THE日本/1985」
昭和には多くの都市で活躍していた路面電車も、いまや交通事情などから廃止された路線が多い。筆者は京都市内の北区に生まれ育ち、ほぼ30歳ぐらいまでその地で生活していた。京都市内で最も北を走っていた市内電車は、西大路の金閣寺あたりから東大路の高野までを東西に結ぶ北大路通りだった。実家から北大路の電停までは1キロ以上あり、歩いて30分近くかかったので、その後に路線が拡張された市営バスの方が便利で、そちらを利用することが多かった。
しかし何といっても懐かしく思い出されるのは、路面を音もなくゆったりと走る路面電車の方である。京都の路面電車は明治28(1895)年にまでさかのぼり、日本最初の一般営業用の電車として開業された。これは琵琶湖疎水事業と連動して、これもまた日本最初の蹴上水力発電所が設置されたが、当時は電気の需要が少なく、その余剰電力の利用先として路面電車が開設されることになった。
その後、京都市営に移管されるなどしながら路線は拡張され、その形跡をとどめる狭軌路線は「チンチン電車」として親しまれ、昭和36(1961)年に北野線が廃止されるまで走り続けた。マッチ箱のような電車の乗車口にドアはなく、そのつど鎖が掛け外しされる仕様であり、東堀川通りを走る姿は、小学生だった私にも見た記憶がある。
昭和30・40年代には、濃い緑とクリームのツートーンカラーに塗り分けられた電車が、広軌道上を走るのが見慣れた光景であった。最盛期には、東西南北に区画された京都の街を縦横に走っており、その外郭を囲むように西大路・北大路・東大路・九条を市電が通っていて、京都市民にとってこの枠内がほぼ京都市街と認識されていた。その市電も交通事情の悪化には勝てず、昭和53(1978)年9月には全廃された。
*[写真1]京都駅を出て烏丸通を北上する市電の雄姿。
*[写真2]堀川中立売鉄橋を渡るチンチン電車 ここから堀川の東(東堀川)に沿って南行する。
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