京都回想記【14.町内会リクレーション】
このころは町内会の活動も活発だった。春秋にはハイキング、夏場には渓流の川床ですき焼き、そして海水浴といろいろあった。写真は琵琶湖の舞子浜だが、この時期は大阪湾の甲子園浜や香枦園浜とかにも砂浜があって、水もきれいだった。
親に連れられての旅行など考えられず、日帰りの行楽もなし、せいぜい一年に一度ほど、百貨店に連れて行ってもらう程度だった。つまり遠出した経験は、ほとんど学校の遠足か町内会のリクレーションばかりだった。それだけに、楽しい思い出がこもっている。
秋のお祭りとともに、楽しみだった行事は地蔵盆。八月の十五、十六日に、「横手」という路地入口にあるお地蔵さんの前で行われる。通常の地蔵盆は8月23・24日なのだが、この地域は西陣からはみ出してできた地域なので、織屋(おりや=西陣織の帯を織る織物業)が多い。織屋の休みは月に二回しかなく、1日と15日だけ。そこで8月の15・16日にすることになった。
板敷きにテントを張って、さらに舞台もしつらえられる。昼間は板敷きの上で走り回り、夜には舞台でみんなの遊戯大会や幻灯映画が映写されたりと、催したっぷり。さらには脇で花火をして遊ぶ。もちろんみんな子供たちは、夕方になると、家で行水を済ませて浴衣で集まってくる。
朝昼には石油缶の底をドンドコ叩いて、オヤツの時間を告げてまわる。みんな菓子券をもって駆けつけて、駄菓子などをもらう。もちろんそのまま舞台で走りまわって遊ぶ。16日の夕方には、舞台の片づけが始まる。ちょうど片づけが終ったころ、五山の送り火がともる。いよいよ夏も終わりだなと、一抹の寂しさを感じる時である。
そうそう、地蔵盆の一大行事の「ふご降ろし」もあった。近くの家の二階からお地蔵さんの近くにまでロープを渡し、そこをふごと呼ばれる竹などで編んだ大きな篭が、ロープウエイのごとくするする下りてくる。篭の中には、洗面器とか鍋とかの景品がが入っていて、事前に配られた番号札に合致した人がもらう。ほうきなど、篭からはみ出すものは、二階から吊るされたとたんに解るので、みんなが歓声をあげる。
ふごには、織屋ならどの家にもある「ボテ篭」というものが使われることが多い。ただの抽選会なのだが、ちょっとした仕事用具などを活用した工夫で、大人も子供もみんな楽しめるメインイベントであった。
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