京都回想記【13.お祭り】
近くには「今宮祭」や「やすらい祭り」で有名な今宮神社があるが、うちの家は、より近くにある小さな「總神社天満宮」の氏子だった。天神様を祀った村の祠が、周囲が宅地化される時に囲いをつけて、やっと神社らしくなった程度の小さな神社だった。秋に行われる祭礼も、子供神輿がねり歩くぐらいの小規模なものだったが、神社境内には前日からたくさんの縁日の出店が出て、子供たちには年に一度の楽しみだった。
小学生になる前は神輿を担がせてもらえず、「槍持ち・旗持ち」として行列についてまわる。行列が終ったあとは、近くの銭湯が無料開放され、うち風呂で慣れていたので少し恥ずかしかったが、この時ばかりは銭湯の大きな浴槽でみんなではしゃいだ。
總神社には、源義経の父親で平治の乱で平清盛に敗れた、源義朝の別宅があったという説があり、天神様とともに源義朝が祀られているという。今ではその旨を記した案内板が掲示されているらしいが、子供の頃はそんなこと聞いたこともなかったのでマユツバっぽいと思っている。
しかし、同じ町内の少し離れた場所には「牛若丸産湯の井戸跡」という石碑が立っており、この周辺に義朝の別宅があり、お妾さんの常盤御前を住まわせていたということは考えられる。その常盤が生んだのが源義経、幼名牛若丸であり、町名もその名にちなんでいる。しかも別に、「牛若丸誕生井」なるものが数百メートル離れた畑の中にあり、もはや何が真実ななのかは不明だ。
いずれにせよ、この辺りに義朝ゆかりの地があり、そこで牛若が生れたということは、いくつかの伝承から推定される。しかしそんなことにはお構いなしに、神社境内は近隣子供たちの大切な遊び場であり、木登り、相撲、ボール投げ、かくれんぼと、何でもやったものである。
「総神社」
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