京都回想記【16.町内子供会】
町内会の組織の中に、さらに子供会と青年会があった。子供会の早朝ランニングでは、後ろには青年会メンバーが交代で付き添う、先頭で率いているのがボランティアでリーダーをつとめるTさん。広くもない自宅の一室を、マンガ本など集めて子供図書室として解放し、年の暮れには青年会のメンバーと自宅前で餅つき大会とか、この人なしでは青年会も子供会も成立たないような状態だった。
手元には市立岡崎動物園での集合写真なども残ってるが、写っている顔ぶれを見ると、青年会と子供会のメンバーだけで、大人の顔は見えない。おそらく青年会と子供会の共同リクレーションだったと思われる。兄が青年会メンバーだったので、兄と私がいっしょに参加している珍しい写真でもある。
家族単位での公的な町内会組織は、「向かい三軒両隣り」の6家庭ぐらいが「組」となって、全部で5組ぐらいまであった。各組の組長は持ち回りで、その組長が集まった会合で、町会長ほか役員が選ばれる建前だが、誰も進んで引き受けるものはなく、実質は持ち回りだった。それに比べて、青年会・子供会は自主的な組織で、リーダーはTさん一人しか成り手がなかった。
あるとき、Tさんが自宅の石油ボイラーを修理していている最中に突然爆発し、顔面を中心に大火傷をしたという話が伝わってきた。さいわい無事回復されたが、事故以降、人が変わったかのように、子供会・青年会の世話から手を引くようになって、実質的に解散ということになった。本人の気力の衰えもあるだろうし、開放した自宅に子供たちが勝手に上りこんできたりする状況は、奥さんにとってはかなりの負担でもあったであろう。
このような地域に密着した子供会活動が必要なのかどうかは分らないし、町内会さえ成立ちにくい今では、実質上不可能な状況になっているに違いない。しかしそれを経験した私たちにとっては、貴重な経験であり、楽しい思い出を残したことは間違いない。
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