2021年7月12日月曜日

#京都雑記#【08.「着物業界」が衰退したのはなぜか? >「伝統と書いてボッタクリと読む」世界】

京都雑記【08.「着物業界」が衰退したのはなぜか? >「伝統と書いてボッタクリと読む」世界】


 これは西陣周辺の織屋[オリヤ]の次男として生まれた育った自分にとっては、きわめて当たり前のことだった。両親はいわゆる帯専門の「賃織[チンバタ]」職人で、自宅に機織機を備えるが、原材料の絹糸から織柄デザインなどまで一式は織元が揃えて、チンバタ職人は一本織り上げて何ぼの手間賃(工賃)を貰う。

 手機(手織り)の頃は3日で一本織り上げて1万円とすれば、自動織機(機械織り)が導入されると、1日に一本織り上がるようになる代わりに、手間賃は3000円に下がる。つまり却って減収になるので、職人たちは夜なべ仕事時間を延ばして、さらに生産過剰になるというありさまだった。

 周辺を見渡せば、工程に係る職人が群れ集っている。絵師・紋屋・紋彫り・糸繰り・整経・機織り・織元・仲買い等々、無数の工程に専門の職人が係っている。そして工賃3000円の西陣織帯は、末端では数十万で売られたりしているわけだ。

 機織機が自前な以外は、典型的な「問屋制手工業」、江戸時代にとっくに駆逐されたはずの生産形態が生き延びているのである。そしてそれに就業して生計を立てている人口は、単純に機械制工場による大量生産生産に必要な労働者の数十倍に上ると推定される。

 完全な過剰就業状態なのだが、今ふうに言えばワークシェアリング、多くの人が最低限の仕事と所得を得て共存しているわけである。それでもコストを下げるために、京都では工賃が高くなるので、北陸地方に委託生産する方式がとられた。

 それが韓国や中国に委託されるようになっても少しもおかしくはない。しかしその仕様設計から生産システムは、多くの国内のノウハウが係って構築されているはず。ユニクロやアイフォンなどとさほど変わるわけではない。

 さて、徹底した合理化システム化で中国などで生産し、30万の西陣織を3万(原産地表示が中国になるだけで品質は同等)にして売り出したとしよう。それで需要が10倍になるわけではない。伝統産業というのはそういうものである。

 そして国内の生産システムは壊滅する。それが嫌なら、国費公費で人間国宝だの保護伝統産業として維持するしかない。縮小再生産ながらも、かろうじて自存している伝統産業を、ボッタクリと呼ぶのも勝手だが、誰かが不当な巨大利益を得ているわけでは決してない。

 少し好況なときには雨後の筍のように織元が生まれ、多少景気が悪くなると軒並み潰れていくのを目の当たりに見ているし、そのように自動的な調整機能が働いている。

 そもそもが、着物を日常で着るという文化が無くなったわけだ。若い娘さんが、成人式や大学短大の卒業式に振袖を着るだけの晴れ着文化しか無くなったわけで、それもほぼレンタルで済ませる。あとは外人観光客の土産としてのニーズがあるだけ。

 外人観光客に数十万の帯や着物を売りつける必要はないし、買うわけもない。どうせガウンがわりの部屋着かインテリアに使うぐらいなのだろうし、数千円の化繊やコットンの浴衣を日本土産として買ってもらえば良いはずである。

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