京都回想記【08.近所遊び】
小学校に入ってからは、それまでの近所の子供たちとの遊びと、学校での友達との遊びとに分かれる。低学年では近くの子供との遊びが多く、高学年になるにつれて学校友達との遊びが増してゆく。それと共に、行動範囲も広がっていく。
近所仲間との遊びも、道端遊びと家遊びに分れる。これも、幼いときは女の子もも交えての家遊びから、やがて男の子ばかりの外遊びに移行してゆく。私はゲーム、将棋など屋内での遊びが好きだったが、皆に引きずられて外遊びが多くなっていった。
道端での遊びは数多くあった。その時によって、また集まった人数により、適当な遊びを決める。ある時期、ある遊びがブームになると、しばらく同じ遊びが続くが、やがて飽きると別の遊びがハヤリになる。男の子たちの人気のあった遊びは「ビー玉」と「メンコ」だった。それぞれにいろいろな遊び方があったが、とにかく相手のビー玉やメンコを取るという一種の賭け事だった。
それ以外にも様々な遊びがあったが、中でも私の好きな遊びが一つあった。当時は道路は舗装などされてなくて、土の地道のままであったが、家の軒下などはセメントで固めてある。そのセメントの部分に、チョークで直径1m程度の円を描き、そのまん中に小さな円をかく。そしてその間を、傘のように放射状の線で区切って分割する。中央の小円には「休み」、放射状に区切られた区画には、それぞれ皆が分るような場所などを書き入れる。たとえば、「トユ3本」「でんしんぼう」「ひょうたん」「白いセメン」などなど。
そして2mほど離れた線のところから、各自の石をなげて、入ったところの書き込みに従う。そして用意ドンで、それぞれが指定されたものをめがけてタッチしに走る。「ひょうたん」とは固有名で、ある家の戸口の上には、瓢箪型に切り抜いた1m幅の板が掲げてあって、何のためにそれを掲げてあるのか知らないが、その家のことを「ひょうたん」と呼んでいた。その「ひょうたん」に触って戻ってくるのだ。
「白いセメン」とは、遊び道路にある四差路に、道脇を流れる側溝が道路を横切る場所がある。その横切る溝の蓋がセメントで固められていて、土の地道の間で白っぽく見える。そこまで走って、踏んでから帰ってくることになる。中央の小円に入れば「休み」で、次の回の先頭で待っていれば良いというラッキーマーク。
かくして遠くまで走るはめになった者は、最後に帰ってきて並ぶので、次回はいちばん最後に石を投げることになる。それだけの他愛のないゲームだが、なにかルーレットのような楽しみがあって、私の好みだった。
こうやって駆け回る道筋に沿って、向かい合わせに並ぶ家々には、それぞれ個性的な人物が住んでいたりする。そのへんの記述は、次回にまわすことにする。
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