2021年5月5日水曜日

#京都・文学散策#【03.川端康成 「古都」府立植物園/北山杉の町】

京都・文学散策【03.川端康成 「古都」府立植物園/北山杉の町】


 植物園はアメリカの軍隊が、すまいを建てて、もちろん、日本人の入場は禁じられていたが、軍隊は立ちのいて、もとにかえることになった。

 西陣の大友宗助は、植物園のなかに、好きな並木道があった。楠の並木道である。楠は大木ではないし、道も長くはないのだが、よく歩きに行ったものだ。楠の芽ぶきのころも……。

 「あの楠は、どないなってるやろ」と、機(はた)の音のなかで思うことがあった。まさか占領軍に伐り倒されてはいまい。

 宗助は植物園が、ふたたび開かれるのを待っていた。

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 冒頭に出てくる京都府立植物園は、実家から歩ける距離にあったので何度も訪れたことがある。両親も西陣の機(はた)織り職人で、毎日機織りしていた。北山杉で有名な周山街道沿いの旧中川町は、高校の耐寒マラソンコースになっていた。ということで、この小説で描かれる古都の風景は、生活の一場面に過ぎず何ら特別な情緒を掻き立てられることはない。

 川端康成は、この作品などで昭和42年にノーベル文学賞を受賞することになるが、日本人最初の文学賞ということで、多分に推薦者であった米人文学者の「オリエンタリズム」的視点が作用していたと思われる。川端作品で著名なものは、「伊豆の踊子」にしても「雪国」にしても、いわば旅先でのエトランジェとしての出来事を描いたものが多い。

 エトランジェとしての恋愛事は、いざ不都合となればとっとともとの居場所に逃げ帰られる、男にとってきわめて都合の良い状況なのである。川端作品での恋愛については、このようなエトランジェとしての御都合エゴしか感じないので、あまり好むところではない。

 この「古都」では、そのような恋愛はなくて、離れて育てられた双子姉妹の物語であり、その背景として古都京都での伝統的な生活が綴られる。しかし、すでにこの物語では、姉妹の物語が背景に退き、古都の情景の方が主題として浮き上がって来ていると見える。

 思えば川端は、京都に関しても徹底的にエトランジェなのである。大阪で育った川端だが、多くの秀才が京都の三高を選択する中で、東京の一高から東京帝大というコースを選択する。これは何よりも川端の上昇志向を示しており、京都をとっととスキップしている。

 そのようなエトランジェ川端が描く「古都」とは、自身の記憶の中でノスタルジー化された絵葉書のようなものであって、そこで生活する人々のナマの生活などは眼中にない。そのような川端をノーベル賞に選んだのは、当時選考委員だったエドワード・サイデンステッカーやドナルド・キーンといった、日本文学翻訳者でジャパン・オリエンタリストだったわけだ。

 ノーベル文学賞受賞後、まともなものを書けなくなった川端は、その数年後に自殺する。奇しくも、川端にノーベル賞を奪われた形になった三島由紀夫が自刃して二年後であった。

(追補1)
 植物園が返還された時のことは、よく憶えている。敗戦後、進駐軍に接収されていたのが、昭和34年ごろ返されて、無料開放された。小学生高学年のころで、近くのおじさんに連れられて、近所の子供たちみんなで遊びに行った。

 再整備が始まる前で、園は荒れ放題、米軍家族の木造家屋が建っていた跡だろう、変な六角形の位置に柱穴が開いていたままだった。しかしその後、整備されて開園されたときには、目玉の大温室などとともに、見事に蘇っていた。中学、高校と、幾度となく遊びに行った。

 同時に周辺も整備された。北山橋が架けられ、畑地しか無かった園の北側に北山通が拡張され、ファッショナブルな街ができた。西側の賀茂川堤防沿いには桜の苗木が植えられ、それが「半木(なからぎ)の道」として、いまや桜の通り抜け名所となっている。川の対岸から植物園越しに眺める比叡山は、もっとも美しいと思う。

(追補2)
 たまたま、NHK-BS「プレミアムカフェ」で東山魁夷の「年暮る」を取り上げていた。京都市役所から、河原町通りを挟んで、東側に建っていた旧京都ホテルの屋上から見下ろした眺めを描いたものらしい。おそらくは、南東方面、祇園から清水寺にかけての東山山麓の家々で、今はすっかり変わっている。

 今は京都ホテルオークラとなっているが、当時の京都ホテルは、改築問題をめぐって京都仏教会と激しく対立した。60mの高層ビルへの改築計画が、東山方面の光景を著しく阻害するということだった。京都仏教会は、数年前にも「古都税」導入をめぐって激しく市と対立、金閣寺を始め有力観光寺院が、一年にわたって拝観拒否をするという事件となっていた。その後、景観条例など、様々な条例が定められたが、結局は現在60mの高層ホテルに改築されているようである。

 川端康成が、失われてゆく京の景観を惜しみ、東山魁夷に描くように勧めた結果、旧館の屋上から描いた「年暮る」が残され、その景観を阻害するといわれた高層の新館が、その場所に建っているという、いかにも皮肉な歴史が残されたのであった。

(追補3)
 「古都」に出てくる楠並木をたまたまスケッチしていた。受験浪人の時に、まわりに触発されて始めたスケッチブックだが、美術部に所属していた奴に「風景をしっかり見ろよ、木の枝はもっとごつごつ折れ曲がってるはず」と言われて、なるほどと納得したが、以後絵を描くことは無かった。

 なお「古都」は3度映画化されている。
https://filmarks.com/movies/37020 (1963/中村登監督/岩下志麻主演)
https://filmarks.com/movies/32368 (1980/市川崑監督/山口百恵主演)
https://eiga.com/movie/85122/ (2016/Yuki Saito監督/松雪泰子主演)

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