2021年5月6日木曜日

#京都・文学散策#【07.「伊勢物語 六段」 二条后/芥川】

京都・文学散策【07.「伊勢物語 六段」 二条后/芥川】


 昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。

 ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・胡ぐひを負ひて戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。

 「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐて来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

 「白玉かなにぞと人の問ひし時 露と答へて消えなましものを」

 これは、二条の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御兄人(せうと)堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下らふにて内へまいりたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とゞめてとりかへしたまうてけり。

 それを、かく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のたゞにおはしける時とや。

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 長年、想いをかけていた身分の高い女と、今でいえば、やっとのことで駆け落ちに成功した。摂津の国、芥川近くまで来て、荒れた蔵で一夜を凌ごうと、戸口に仁王立ちで番をしていたが、あっという間に、女は鬼に食われてしまった。世間知らずの気高い女が、途中で草においた露を「あれは真珠なの」と訊ねた時に、露だよと答えて、二人で露のように消えてしまえばよかった、などと涙を流した。

 伊勢物語の主人公は「在原業平」に擬せられているが、ここでの相手の女性は「二条の后」と示されている。これは、臣下で最初の関白となった「藤原基経」の妹で、「藤原高子(たかいこ)」のことを指す。高子は、やがて清和天皇の女御となり、陽成天皇の母として皇太后とされた。

 しかし、権勢を誇った実兄の基経とは不仲だったらしく、自腹の陽成天皇を廃位され、後年、自身も高僧との不義を疑われ、皇太后の立場からも追われた。在原業平との関係は、伊勢物語の幾つかの説話から、逆に推測されたものかとも思われる。いずれにせよ、スキャンダラスな噂から、さらにいくつもの伝説が紡ぎ出されるのであろう。

 「思ひあらば葎(むぐら)のやどに寝もしなん ひしきものには袖をしつつも」
 「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身一つは元の身にして」
 「ひとしれぬわが通ひ路の関守は 宵々ごとにうちも寝ななん」

などと、いかにも切なげな歌を連ねており、伊勢物語の中でも、ひときわ優れたロマンス・シリーズとなっている。


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