京の生活もろもろ【06.京都の「近所付き合い」と「町内会」】
「向かい三軒両隣り」という言葉がある。「むこう三軒」というのが一般的らしいが、それはともかく、自宅の両隣りと向かい側にある三軒というのが具体的な意味で、居住の近接に伴って形成される社会関係のうち、とくに日常的に接触交流の大きい家庭をいうようだ。
これは京都に限ったことではないが、私の育った昭和30・40年ごろには、かなり具体的な意味を持っていた。とくに、サラリーマンで夜にだけしか家にいないのではなく、自宅で織物職人として終日自宅で仕事をしている人が多い私の育った地域では、隣近所とより密接な関係があった。
基本的には「町(ちょう)」が最小の行政単位で、その30戸ほどの町が、それこそ「向かい三軒両隣り」の5・6戸からなる「組」に分けられていた。形だけだが持ち回りの「組長」があり、回覧板などは各組長から回されるので、一両日中に迅速に各戸が回覧することになる。
向かい三軒両隣の身近な関係は、毎朝の掃き掃除と水撒きに始まる。自宅前とともに、両隣りや向かいの前の半分ぐらいまで、バケツと柄杓で水撒きをする。これも象徴的で、決して臨家の前まで全部を掃除してしまうと出しゃばり過ぎになり、また自宅の領域だけだと付き合いが悪いとささやかれる。このように京都人の付きあい方は、立ち入りすぎず、それとなく気遣いを示すという微妙な塩梅となる。
古くは室町時代に成立した町組の伝統は、応仁の乱などで大幅に再編成されながら続いてきた。まず、正方形に形成されたブロックは、徐々に長方形の区画に移行し、さらに「町」の編成も、四方を道路で囲まれた一画の「豆腐型」から、道路を挟んで向かい合わせの一連の区画が町内とされる「竹輪型」に移行していったという。
豆腐型では自宅の裏の住人と顔を合わせる機会は少なく、一連の向かいや隣りの方が、毎朝の水撒きからしても顔を合わせる機会が大きく、密接なつながりができる。このような生活に密着した繋がりがあるので、町内の結びつきも強く、幾つもの年中行事も、町会を単位に行われる。
町内会の活動では、春秋にはハイキング、夏場には渓流の川床ですき焼き、そして海水浴といろいろあり、子供にとっては楽しみの行事だった。親に連れられての旅行などはほとんどなく、日帰りの行楽もなしで、せいぜい一年に一度ほど、市バスに乗って百貨店に連れて行ってもらう程度だった。つまり観光バスなどで遠出した経験は、ほとんど学校の遠足か町内のリクレーションばかりだった。
町内会の単位とは少しずれるが、子供たちの大きな楽しみは、秋の祭礼と夏の地蔵盆だった。祭礼は近くの鎮守の森に祀られた小規模な神社の氏子が単位なので、町会の単位とはずれがあり、隣の町の一部も参加する。秋の祭礼の時には、子供神輿を担ぎ、神社の境内には幾つもの屋台出店がでて、賑やかな行事だった。
地蔵盆は地蔵菩薩の縁日で、旧暦7月24日の前後に行われる催しだが、各町内の一画に祀られている地蔵の祠の周囲の住人によって行われて、主役は子供たち、大人たちはその裏方で、臨時の板敷きの舞台を設営したり、子供たちに配るオヤツを用意したりする。
地蔵盆の催しは概ね新暦8月24日前後の日曜日に行われるのだが、うちの地域は織物職人の街で毎月1日と15日しか休みがないので、8月15日に始まって、翌日16日の夕方にはほぼ舞台も撤収されることになっていた。その時間には、子供たちはいったん自宅で行水を浴び、のりの効いた浴衣を着せられて、やがて灯される大文字などの五山の送り火を眺めるのが慣例で、独特の季節感と情緒を醸し出す「夏の終わり」だった。
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