郷土史散策【05.東西の高低差と京都の街】
地図上の赤線、つまり京見峠から長坂口、鷹峯から舟岡山を経由し、そこから千本通りを南下するところに一本の稜線(図1赤線)があると考える。そしてそれはまさに、平安京の朱雀大路に重なる。つまりその部分が高くて、左側の右京は桂川水系、右側の左京は賀茂川水系とする。
千束坂の下、鏡石通りに沿って金閣寺、衣笠方面に流れる紙屋川は天神川となって桂川に流れ込むのに、千束坂の上から逆側の釈迦谷、尺八池から流れ出る川が堀川や賀茂川側に流れ込む。古地図(図2)を眺めていて、この不思議に気付いたのが、朱雀大路稜線説である。
子供のころ、自宅近くの「上野通り」が斜めに走っているのが不思議だった(図3赤線)。これは鷹峯の小さな池から流れ出て、今宮神社や大徳寺を斜めに横ぎって、堀川に流れ込んでいた小川の痕跡だと考えられる。これも稜線(緑太線)より東が、賀茂川・堀川に向けて右に傾斜していたことの傍証だろう。
京都の南北の高低差はよく言われるが、京の街の形成に大きな影響を及ぼしたと考えられる、東西の傾斜関係にはあまり注目されていないのではないだろうか。
(図2)は明治22年の地図だが、このころまで、千本通りから西の右京がすっぽり田畑になってしまっていたことがうかがえる。これからも、右京一帯が低湿地化して廃れていたのが分かる。秀吉が紙屋川東側に御土居を築いたのも(図4)、それより西の旧右京を洛外とみなしたからであろう。




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