2021年5月1日土曜日

#郷土史散策#【05.東西の高低差と京都の街】

郷土史散策【05.東西の高低差と京都の街】


 地図上の赤線、つまり京見峠から杉坂口、鷹峯から舟岡山を経由し、そこから千本通りを南下するところに一本の稜線があると考える。そしてそれはまさに、平安京の朱雀大路に重なる。つまりその部分が高くて、左側の右京は桂川水系、右側の左京は賀茂川水系とする。

 千束坂の下、鏡石通りに沿って金閣寺、衣笠方面に流れる紙屋川は天神川となって桂川に流れ込むのに、千束坂の上から逆側の釈迦谷、尺八池から流れ出る川が堀川や賀茂川側に流れ込む。古地図を眺めていて、この不思議に気付いたのが、朱雀大路稜線説である。

 右京の桂川流域は比較的ゆるやかな傾斜で、池、沼など湿地帯になりやすく、平安京の早期から右京部分が寂れたと考えられる。左京は賀茂川中心に勾配があって水はけが良いので栄えた。こういう理論が考えられる。京都の南北の高低差はよく言われるが、京の街の形成に大きな影響を及ぼしたと考えられる、東西の傾斜関係にはあまり注目されていないのでは。

 二枚目は明治22年の地図だが、このころまで、千本通りから西の右京がすっぽり田畑になってしまっていたことがうかがえる。これからも、右京一帯が低湿地化して廃れていたのが分かる。秀吉が紙屋川東側に御土居を築いたのも、それより西の旧右京を洛外とみなしたからであろう。

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