2021年5月13日木曜日

#京の食べ物探索#【09.たこ焼きとキャベツのお話し】

京の食べ物探索【09.たこ焼きとキャベツのお話し】


 京都では、たこ焼きにキャベツをたっぷり入れる。子供の頃、近くの神社の境内で、毎日屋台でたこ焼きを焼いていたオバサンは、確かにキャベツを、焼き面に広げるように入れていた。そしてタコをひと切れ乗せて、焼き面をひっくり返してゆく。

 たこ焼きとはそういうものだと思い込んでいたが、たこ焼き器を購入して自分で焼いたりし出して、いろいろ調べてみると、たこ焼き発祥の大阪・神戸を始め、京都・滋賀以外の関西地方では、キャベツを入れないらしい。

 たこ焼き本場の大阪では、たこ焼きにキャベツを入れないで、中のとろみを楽しむのが本物たこ焼きであって、キャベツを入れるのは邪道だということになるらしい。しかし、たこ焼き後発の関東を始め、他の多くの地域はキャベツを入れる。これは何故なのか。

 柳田國男の「蝸牛考」によると、都に発生した新しい言葉は、水紋のように同心円を描くように全国に広がってゆくと言う(方言周圏論)。同様にたこ焼きも、大阪で始まった関西一円に広がった。ところが京都では独自の発展をとげ、キャベツを入れて腰のあるたこ焼きとなった。

 そうすると、大阪発のたこ焼きは関西を周縁として止まり、京都のキャベツ入りたこ焼きが、その他のたこ焼き不毛の地に展開していったのではないかと考えられる。

 大阪は、たこ焼きのひな型である「明石焼き」の影響を、色濃く残している。明石焼きは、卵中心の生地にタコを一切れ入れるだけで、他の具は入れない。大阪のたこ焼きも、小麦粉を出汁で溶いた生地に、タコだけ入れて焼くものもある。他のものを入れても、せいぜいが紅生姜、天かす、刻みネギなどで、主要な具というよりもトッピングに近い。

 一方で、キャベツを入れるたこ焼きは、明石焼きの影響の無い地域で発生し、むしろ、キャベツをたっぷり入れるお好み焼きの影響ではないかと思われる。

「たこ焼きキャベツ論争」
http://kitchen-tips.jp/29001

(付記1)2022.04.11
 大阪のたこ焼きは明石焼きが発祥かと思っていたが、先ほど、大阪のたこ焼き屋の原型は会津から伝わったという指摘を受けた。本文はそのままにして、注記しておく。

(付記2)2025.06.04 (AI_Geminiによる生成)
たこ焼きのルーツは、いくつかの要素が組み合わさって誕生しました。

1. ラヂオ焼き(ラジオ焼き)
たこ焼きの直接の前身とされているのが「ラヂオ焼き」です。昭和初期の大阪の屋台で流行していました。これは、たこ焼きと同じように丸い鉄板で焼かれたもので、当時はタコではなく、牛すじやこんにゃくなどを具にしていました。「ラジオ」が当時最先端の技術で、その響きからモダンな食べ物として名付けられたと言われています。

2. 明石焼き(玉子焼)の影響
兵庫県明石市には、古くから「明石焼き(地元では「玉子焼」と呼ばれる)」という食べ物があります。これは、卵をたっぷり使ったふわふわの生地にタコが入っており、だし汁につけて食べるのが特徴です。

3. 「会津屋」の遠藤留吉氏による考案
昭和10年(1935年)、大阪でラヂオ焼きの屋台を営んでいた「会津屋」の初代・遠藤留吉氏が、お客さんから「明石ではタコを入れている」という話を聞いたことをヒントに、ラヂオ焼きの具をタコに変えてみたのが始まりとされています。遠藤氏は、小麦粉を醤油味のだしで溶くというアイデアも取り入れ、「たこ焼き」と名付けました。

まとめると、たこ焼きの誕生は、以下の要素の融合と言えます。

*ラヂオ焼き:丸い形で焼くという調理法と、屋台で手軽に食べられるスタイル。
*明石焼き:タコを具材とするアイデアと、卵を使ったふわふわの生地のヒント(会津屋のたこ焼きはだし味で、何もつけずに食べるスタイルが元祖です)。
*会津屋の遠藤留吉氏:これらを組み合わせて「たこ焼き」として完成させ、広めた功績。

このように、たこ焼きは既存の食べ物からヒントを得て、試行錯誤の末に生まれた、大阪を代表する「粉もん」として発展していきました。

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