2021年5月7日金曜日

#京都・文学散策#【12.「源氏物語/五十一帖 浮舟」 宇治/三室戸寺/さわらびの道】

京都・文学散策【12.「源氏物語/五十一帖 浮舟」 宇治/三室戸寺/さわらびの道】


 女君(浮舟)は、「 あらぬ人なりけり」と思ふに、あさましういみじけれど、声をだにせさせたまはず。いとつつましかりし所にてだに、わりなかりし御心なれば、ひたぶるにあさまし。初めよりあらぬ人と知りたらば、いかがいふかひもあるべきを、夢の心地するに、やうやう、その折のつらかりし、年月ごろ思ひわたるさまのたまふに、この宮(匂宮)と知りぬ。

 いよいよ恥づかしく、 かの上の御ことなど思ふに、またたけきことなければ、限りなう泣く。宮も、なかなかにて、たはやすく逢ひ見ざらむことなどを思すに、泣きたまふ。

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[匂宮、薫のふりをして浮舟の寝床に忍びこむ]

 「浮舟」は、男が「薫」でないと気付いた。何と言うことだと思うが、声も出せない。かつての、ひかえるべき人前の席でも、想いを押さえられないほどだった「匂宮」は、ひたすら激しくせまる。浮舟は、初めから別の男と分かれば、何とか言いとがめることもできたのに、と動転していた。少し落ち着いたとところで、日ごろの思いのたけをぶちまける様子から、ああ匂宮だ、と知った。

 いよいよ恥かしく、姉君にどう思われるかと気になるが、どうしようもないことで、浮舟はひたすらむせび泣いた。匂宮も、なまじか逢ってしまったのが返ってつらく、この先、逢うのも難しいと思えてきて、さめざめ泣いた。

 この後、誠実な庇護者の薫と男の色気でせまる匂宮の間に挟まれて、思いつめた浮舟は、母君に最後の文をしたためる。

  「鐘の音の絶ゆるるひびきに音をそへて わが世尽きぬと君に伝へよ」

 浮舟は宇治川に入水するが、たまたま通りかかった「横川の僧都」に発見され、助けられて匿われた。生き延びた浮舟は、出家の思いが強くなり、ひたすら物思いに沈んでは、手習をしたためる日を過ごす。差し止める周囲の隙を見て、横川の僧都に懇願して出家したあとは、噂を聞きつけた薫や匂宮ともいっさい顔を合わさず、遣わされた使いとも、かたくなに対面を拒み続けて過ごすのであった。

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 源氏物語本編が、光源氏ひとりを中心とした「色好み」の物語であるのに対して、「宇治十帖」では、薫大将と匂宮という、全く対照的な主人公を配して、浮舟をヒロインとした近代的な恋愛物語に転化したところが面白い。「三角関係」だの「不倫」だのとの近代恋愛のキーワードが登場するわけである。

 現在の宇治市では、「宇治十帖」にちなんで、毎年秋には宇治川周辺一帯で「宇治十帖スタンプラリー」が行われる。もちろん「源氏」は架空の物語だが、それなりに想定されたラリーポイントを巡る催しである。「浮舟」のポイント・スポットは、「浮舟古跡」と刻まれた古碑のある三室戸寺に設定されている。
 三室戸寺は、宇治橋東詰め京阪前(ラリー・スタート点)から北東にすこし上った所にある山寺であり、「宇治山の阿闍梨」として宇治十帖に登場する高僧ゆかりの寺であると想定される。「浮舟古跡」は、もとは「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」の墓のある宇治川右岸近くにあったものが移設されたと言われている。

 三室戸寺から少し戻り、山道を南方面に下ると「源氏物語ミュージアム」があり、その前を「さわらびの道」と名付けられた散策道が延びる。「さわらびの道」に沿ってぐるりと山すそを回るように下ると、宇治上神社、宇治神社と、ともに菟道稚郎子命を祭神とする神社があり、「総角(あげまき)」や「早蕨(さわらび)」のラリー・ポイントが設定されている。


 さわらびの道を下りきると、人専用の朝霧橋が塔の島(中の島)に向けて掛けられており、その対岸には平等院が展開している。対岸(左岸)にわたると、平等院側の散策道「あじろぎの道」にそって、残りのポイントが並ぶ。そして宇治橋西詰には「夢浮橋」の古跡と「紫式部像」がある。これだけのポイントを辿ってみれば、宇治十帖を体験した気にもなれるので、お得な観光散策となるのではないか。

 「宇治」という地名は、「菟道(うじ)稚郎子命」にちなんだとされ、「菟道」と書いて「とどう」と読む地名も残っている。さらには、「兎(うさぎ)の道」であったり、「内(うち)・外(そと)」の「内(うち)」が「うぢ」になったなど、諸説ある。


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