然て、紫野樣に遣らせて行く程に、三人ながら、未だ車にも乘らざりける者共にて、物の蓋に物を入れて振らむ樣に、三人振り合はせられて、或いは立板に頭を打ち、或いは己れ等どち頬を打ち合はせて、仰樣に倒れ、樣にし轉びて行くに、惣て堪ふべきに非ず。
此くの如くして行く程に、三人ながら酔ひぬれば、踏板に物突き散らして、烏帽子をも落してけり。
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源頼光の四天王のひとり坂田公時(金太郎のモデルと言われる)ら、3人の豪の者が、御所の警護をさぼって加茂の祭り(葵祭り)を見物に行こうと、女官を装って女車に乗り込んで加茂川の河原方面に向かう。
やっと紫野あたりまで来ると、日ごろ馬を乗りこなす強者も、ガタゴトと狭い牛車(ぎっしゃ)に揺られて、ひどい車酔いでひくっくり返って悶えているうちに、さっさと行列は通り過ぎてしまった、という笑話。
「紫野」という土地に生まれ育ったので、彼らの辿った道筋など何となく分かり、この話が記憶にのこった。平安京の大内裏(今の京都御所よりは西にあった)を北側の裏口から出て、舟岡山周辺から今宮神社のある紫野を通り、そのまま北東の加茂川堤防に向かう予定だったと思われる。
今宮神社東門前のあぶり餅屋は、創業1000年と400年の店が向かい合うが、さすがにこの時期にはまだ無かったようで、応仁の乱のあと、西陣という地名が成立したころからという。
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