京都・文学散策【06.「徒然草」仁和寺の法師/御室仁和寺】
これも仁和寺の法師、童の法師にならんとする名残とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔ひて興に入る余り、傍なる足鼎(あしがなへ)を取りて、頭に被きたれば、詰るやうにするを、鼻をおし平めて顔をさし入れて、舞い出でたるに、満座興に入る事限りなし。
しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。
とかくすれば、頸の廻り欠けて、血垂り、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪え難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師のがり率て行きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。
医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様なりけめ。ものを言ふもくぐもり声に響きて聞えず。
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仁和寺の僧たちの話で、小僧が僧になる祝いの席で、酔っぱらった僧が、そばの足鼎(あしがなえ/三脚の付いた鉄の壷の置物)を被って余興に踊った。踊ってから、いざ抜こうとしたが、これが抜けなくなって大騒ぎ。最後には、耳や鼻が引きちぎれても命には代えられないと、無理やり引き抜いた。その僧はその後しばらく病に伏したという。
御室仁和寺のオバカ坊主のドジ話というところだが、実は徒然草には他にも、仁和寺の法師の失敗談が出て来る。石清水(いわしみず)八幡宮に一度は参詣したいと思いつつ、ついつい歳を取ってしまったので、ある時、思い立って詣でることにした。ふもとの極楽寺・高良明神などを有難く拝んで満足して帰った。やっと念願がかなったと知人に語ったが、実は八幡宮の本殿は男山の山上にあり、それも知らずにうかつなことだ、このドジ坊主、みたいなことが書いてある。
筆者の吉田兼好は、出家して兼好法師とも呼ばれるが、特に仁和寺で修業したという事実は確認できない。仁和寺の僧の悪口めいた話が続いて、特に仁和寺に恨みがあったわけでもなかろうが、仁和寺が身近な立場にあったのかとも思われる。
仁和寺(にんなじ)は、京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院で、世界遺産にも登録されている。開基は宇多天皇で、出家後も僧坊を建て住まったため「御室御所」とも呼ばれる。
京福電鉄北野線には「御室仁和寺駅」があり、また山門前を通る道路は「きぬかけの路」と呼ばれ、衣笠山の麓に沿って、北東方向にうねうねと伸びて金閣寺に至る。途中にも、龍安寺があり、妙心寺、等持院なども近辺に散在する。気候の良い時期、きぬかけの路をレンタル自転車で散策するのも好適だ。
御室仁和寺の境内や裏山一帯は、「御室桜」と呼ばれる桜の名所でもある。御室桜には八重桜が多く、ソメイヨシノなどが散り去った後も、かなりの期間、遅咲きの桜として花見が楽しめる。
(追補1)
「きぬかけの路」は、金閣寺から連なる「衣笠(きぬがさ)山」の麓に沿って走っているが、この山はかつて「衣掛(きぬかけ)山」とも呼ばれたことにちなむ。
御室御所の宇多天皇が、夏の盛りに「雪のかかった衣笠山を見たい」とおおせられ、山の松の枝に綿衣を掛けて雪に見立てたという逸話から、「きぬかけ」ないし「きぬがさね」という呼び名がはじまったという。
ちなみに京都には「衣笠丼」という独自の丼ものがある。京揚げに九条葱を載せ玉子で閉じたドンブリで、ネギが松の緑、アゲが幹の茶色、そして玉子のシロミが綿衣の雪、というわけだが、大阪人に言わせると「ただのケツネ丼」やないかと言うことになる。
(追補2)
昔はカナに濁点が無かったので、金閣寺への道標には「きんかくし」と書いてある、という笑話がある。では銀閣寺も同じになるじゃないかというのは置いておいて、和式便器にある「きんかくし」についてのウンチクをひとつ。
昔はカナに濁点が無かったので、金閣寺への道標には「きんかくし」と書いてある、という笑話がある。では銀閣寺も同じになるじゃないかというのは置いておいて、和式便器にある「きんかくし」についてのウンチクをひとつ。
王朝時代の女房たちは、いわゆる「おまる」で用をたした。オマルは木枠の桶に、つい立て状の板などが付いている。で、現在とは逆で、このつい立に尻を向けてまたぐのだと言う。十二単など大層な着物の裾をこの板に掛けて、汚れないようにするもので「衣(きぬ)かけ」と呼んだ。
それがなまって、やがて「キヌカケ→キンカケ→キンカクシ」と変わっていった。そしてその名につられて、男どもはキンカクシを前にしゃがむようになって、現在にいたる、というわけである。
(追補3)
仁和寺は、宇多法王が「御室(おむろ)」と呼ばれる僧坊を建てて住まったため「御室御所」とも称された。平安朝前期の弘仁・貞観文化に連なる密教文化を誇ったが、応仁の乱で全伽藍が焼失し、江戸時代の家光の時代に復興された。寛永年間には、京都御所の建て替えに伴い、旧御所の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に移築されており、天皇の御所の格式を残している。
山裾に広がる境内には、八重桜が多く、遅咲きの御室の桜として有名。その脇には、御室八十八ヶ所霊場が設けられ、四国八十八箇所霊場を小規模に再現した巡礼地となっている。しかし、広隆寺の弥勒菩薩像、鹿苑寺の金閣、嵯峨野嵐山の景観といった目玉がないため、あまり観光名所にはなっていないが、穴場である。
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