2021年5月27日木曜日

#京の生活もろもろ#【04.京言葉の裏表】

京の生活もろもろ【04.京言葉の裏表】


 京言葉の裏表と言えば、まず「ぶぶ漬けでもどうどすか」と来るが、さすがにこれは落語あたりから出た笑話に近いだろう。しかし、そこそこ長く居た客が、そろそろいとまをと腰を上げだしたときに、まあまあごゆっくりと、と引き留めるパターンはよくある。もちろん本気で引き留める気はなく、客の方も腰を下ろし直すことにはならない。

 ある種のお約束シーンと言うわけだが、客が京都の人でない場合は、じゃあもう少しということになるかもしれない。そういう場合には、しまったと思った奥さんが「ほんならお茶漬けでも用意しましょか」などと言うことは考えられる。いずれにせよ、相手の気配を読みながら、微妙な言葉遣いをしているのは間違いない。

 こういう微妙な食い違いが、テレビなどで面白おかしく伝えられるので、いかにもありそうな京言葉の裏表として広がって行くのだろう。しかし、京都人が婉曲で曖昧な表現で、相手を戸惑わせることはよくあることだ。京都人同士だと、お互いに分かっていることで平気のやり取りだが、これを部外者が見ると、暗号のような符牒でやり取りしているように思われるかもしれない。

 このような齟齬を、京都人の排他性とか「いけず」という性格に、直接結びつけるわけにはいかない。上記のようなやり取りは、必ずしも「よそ者」を相手に交わされるわけではない。京都人同士の通常のコミュニケーションとして行われているわけで、たまたまそれを解さない人との間に齟齬が生じただけである。

 では京言葉には、なぜこのような二通りに取れてしまう表現が多くあるのか。その理由のひとつは、京都が山に囲まれた盆地で、限られた領域に多くの人が住むので、隣近所とのトラブルを極力避けるため、直截でなく婉曲な表現を採るようになったということである。しかしそれだけなら、旧来の閉鎖的な村落や地方の小都市などでもあり得ることで、京都だけが特異的に喧伝される理由には弱い。やはり京都に固有な理由があると思われる。

 千年の都京都は、一方で戦乱の都でもあった。とくに武士の時代になると、地方で力を付けた武将が、京へ攻め上がって街中でドンパチとやる。応仁の乱に代表されるように、京の街は焼け野原となり、戦いが終わると武将たちは自らの国に引き上げていく。しかし、京の住人である庶民はどこへも帰る場所もない。

 そのような京の庶民は、街が戦乱となっても、東西どちらに着くなどという立場を明確にするわけにはいかない。そこで京言葉固有の、どちらとも取れる二重表現が生まれたのではないだろうか。たとえ隣人でも、密告や裏切りが有り得る世界では、曖昧かつ裏表のある表現をしておくほかなかっただろう。

 とはいえ、京都人の「排他性」や「いけず」の問題が免責されるわけではない。これはこれで、別個に検討する必要があることは否めない。

0 件のコメント:

コメントを投稿