2021年5月3日月曜日

#郷土史散策#【09.叡電都市伝説の旅】

 郷土史散策【09.叡電都市伝説の旅】


 日本で最初に京都で走った路面電車は、明治28(1895)年に始まり、その後、京都市電として市民に親しまれたが、昭和53(1978)年に全廃された。しかし現在でも、民営の路面電車は走っている。

 京福電鉄嵐山線と叡山電鉄がそれで、それぞれ「嵐電」と「叡電」と呼ばれ親しまれている。ともにかつては「京福電鉄」が運営していたが、叡電は、京阪本線が出町柳まで延線されたのを契機に、京阪電鉄の完全子会社となっている。もっとも、京福電鉄自体も京阪の系列下に入っているので、京都の人は、嵐電と叡電ともに、京福電鉄と思って区別していないようだ。

 京福電鉄はローカルな電鉄会社だが、その名前から想像されるように、かつては京都と福井に路線を持っていた。とは言っても、京福両方の路線が繋がっているわけではなく、そのうち事故を起こして福井の路線は廃止されたようだ。そのような変な名前の零細電鉄会社が、京都でも、まったく繋がっていない嵐電と叡電を営んでいたという、ローカルかつ不思議な歴史がある。

 そしてその嵐電と叡電にも、ローカル路線ならではの逸話がある。嵐電は京都市内と嵯峨野嵐山を結ぶ観光路線として、現在も繁盛しているが、その路線の駅名が難読駅名として有名である。この駅名については、あらためて触れる機会があるかもしれない。

 今回は叡電を取り上げてみるが、嵐電ほど難読駅名があるわけではなく、叡山電鉄と言うにもかかわらず、支線である鞍馬線の方が路線が長く、駅数も多い。いずれにせよ、叡電の沿線には、昔からいわくのある土地が多く、それらの話題を「叡電都市伝説の旅」と称して取りあげてみる。


★叡電都市伝説の旅 その一、出町柳編

 まずは起点となる出町柳。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」というのは、梶井基次郎の短編の有名な冒頭の一節だが、「出町柳の柳の下には幽霊がデル!」ということにはならない(笑) 

 そもそも地名のもとになった出町柳の柳は、戦前のあの室戸台風で倒れて無くなったそうで、しかも「出町柳」と言う駅名は、鴨川西側の「出町」と東側の「柳(柳の辻)」を合わせて適当に付けただけらしいのである。

 しかし、出町柳から叡電に乗って、叡山線終点の八瀬には、八瀬童子と呼ばれる人々が住み、比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁を務めたとされ、延暦寺開祖 伝教大師最澄が使役した鬼の子孫という伝説も残されている。八瀬童子たちは結髪せず、長い髪を垂らしたいわゆる大童であり、その姿から童子と呼ばれたり鬼伝説に擬せられたりしたのであろう。

 そして終点八瀬叡山口から、叡山ケーブル・叡山ロープウェイを乗り継ぐと、比叡山山頂に登れるが、ここにはかつて比叡山頂遊園地(2000年閉園)があり、夏場には「納涼お化け屋敷」が開設され、かなり有名だった。ということで、なんとかお化けの話しに結び付けておきます(笑)


★叡電都市伝説の旅 その二、一乗寺・修学院編

 叡電一乗寺駅で降りて曼殊院道を東に向かうと、宮本武蔵が吉岡一門と闘ったという一乗寺下り松にいきあたる。その道を左に折れて山手に向かうと曼殊院がある。

 初めて足の無い幽霊を描いたのは円山応挙だと言われているが、実はこの曼殊院にもおそろしい幽霊画があった。滋賀県の本来の持ち主から、祟りを解くために預かってたとかで今は無いらしい。

 写真左は応挙画と言い伝えられる幽霊で、ふくよかでやさしささえ感じられる。右が曼殊院にあった幽霊の掛け軸で、こちらはおどろおどろしい様子をしている。怖がりの人は見ない方が良いかもと思える。

 幽霊画とは離れて、曼殊院門跡から山裾に沿って北に行くと修学院離宮がある。そして、さらに少し北に「赤山禅院」がある。この禅院は天台宗延暦寺の別院(塔頭)の一つで、本尊は泰山府君(赤山大明神)。いくつかある比叡山登山口のうち、この雲母坂(きららざか)の登山道は千日回峰行の荒行の一つであり、山頂への最短経路であるだけに、その登り坂は急である。

 赤山禅院は、京都御所から見て表鬼門(東北)に当たるため、方除けの神として、古来信仰を集めた。拝殿の屋根の上には、鬼門を守護する猿が置かれている。この猿は、京都御所の東北角の猿ヶ辻の猿と対応して都の鬼門を守っている。御所の東北角の塀は鬼門封じとして角が欠かれていて、その屋根下に猿が閉じ込められている。

 そもそもこれらの猿は、延暦寺の守護社「日吉大社」の神の使いの猿だとされる。この比叡山延暦寺こそが、平安京の鬼門鎮護のために設けられたものだと言われる。つまり、御所猿が辻・赤山禅院・延暦寺と日吉大社、三重に平安京の鬼門守護が固められているのだということである。


★叡電都市伝説の旅 その三、宝ヶ池・深泥ヶ池編

 京都国際会館ができるまで、京都松ヶ崎方面からは岩倉に抜ける道が無かった。やがてトンネルができて、写真にあるような岩倉の国際会館方面に抜けられるようになった。背景の比叡山と国際会議場という絵葉書のような「宝ヶ池」で、デートして遊覧ボートを漕ぐというのは夢のような世界なのである(笑)

 だがしかし、この場面には落とし穴があって、実はこの「宝ヶ池」でデートしてボートに乗ると、必ずそのカップルは別れるという都市伝説がある。とはいえ若者の恋愛などは、波に揺れるボートのように不安定なもの、未来永劫に鴛鴦(えんおう/オシドリ夫婦)の契りというわけにはいかないで、ボートに乗らずとも、ほとんどのカップルは別れるものだ。この手のジンクスは、全国の遊覧ボートのある場所に見られるという。

 叡電路線からは離れるが、宝ヶ池とひと山はさんで西には、「深泥ヶ池(みぞろがいけ/みどろがいけ)」がある。陽の宝ヶ池とは対比的に、深泥ヶ池は陰、昼間でも薄暗く、どんよりと漂う水には古代からの植生群などが残っていて、底なし沼のような不気味な雰囲気が漂っている。

 そしてここには、「タクシーで消える女性客」と呼ばれる都市伝説が噂される。タクシー運転手が深泥ヶ池までと指定されて、いざ近くまでやってくると、今まで後部シートに座っていたはずの女性客が消えて、座っていた後部シートには、しっとりと水だけが残されている、という話しである。

*「縁切り伝説」に関してはこちら http://d.hatena.ne.jp/naniuji/20160409
*「深泥ヶ池伝説」はこちら http://d.hatena.ne.jp/naniuji/20151223


★叡電都市伝説の旅 その四、岩倉編

 北区で生まれ育った子供のころ、岩倉というと精神病院の代名詞として使われて暗いイメージだった。当時は精神障害に対しても差別的で、親たちは子供をしかる時に、岩倉へ放り込むよなどと言っておどした。

 その昔、精神を病んだ人たちは、狐がとり憑いたと考えられ「狐憑き」と呼ばれた。その狐を祓ってくれると評判の岩倉観音に、藁にもすがる気持ちで集まってきたのであろう。やがて、そういう人たちの集まった場が治療施設となって、いまでは近代的な精神病院となっている。

 東に比叡山を望む岩倉五山の一つで、「一条山」という約60mの小高い山があった。国際会館ができて交通も便利になり、この一条山に対しても急激な開発の波が押し寄せ、京都市内の開発業者が、1980年ごろに宅地造成許可を得て工事を開始した。当時は乱開発が目立った時期、ここも開発許可を無視した工事が行われ、開発中止命令が出たときには、すでに見るも無残な「モヒカン山」となってしまっていた。

 この地形を無視した開発で、近隣の気流が変わり早死にする老人が増えたと、もっぱら当地では噂されたようだ。その後訴訟沙汰になって、現在では一条山の一部を残す形で、立派な高級住宅地となっている。


★叡電都市伝説の旅 その五、貴船口編

 貴船口駅で下車すると、鞍馬線はそのまま北上して鞍馬駅に向かうが、そこで分岐した道が西北方面の奥の貴船神社に向い、それに沿って貴船川が流れている。この貴船川の清流に、夏場には納涼床が設けられて、川沿いの料亭が供する流し素麺や川魚の天ぷらなどが味わえる。賀茂川の川床とちがって、こちらは自然の冷気と蝉しぐれに囲まれて、エアコンのない時代には天国だった。

 一方、さらに奥の山上にある貴舟神社に向かうと、そこはまさしく異界の空気がただよっている。そして神社の裏山では、今でも「丑の刻参り」が行われているらしく、五寸釘で御神木に打ち付けたられた呪の藁人形が見られるとか。

 丑の刻参りとは、深夜の丑の刻に、神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込み、その相手を呪い殺すという怖ろしい呪いの儀式で、嫉妬心に駆られた女性が、白の帷子をまとい、灯したロウソクを突き立てた鉄輪を頭にかぶった姿で行うと言われる。

 ネットで検索すると「呪の藁人形セット」なるものが通販で売られており、呪いの代行も行うという。はたしてそんなお手軽なことで、効果があるかどうかは保証の限りではない(笑)


★叡電都市伝説の旅 その六、鞍馬編

 いよいよ叡電鞍馬線の終点に着いて駅を出ると、大きな天狗のお面が「ようこそ鞍馬へ!」と出迎えてくれる。子供のとき、この天狗の鼻の先に座ってみたくてたまらなかったが、うっかり乗って鼻を折らなくてよかったと思う。平氏の追っ手から逃れて鞍馬山に預けられた源義経こと幼名「牛若丸」が、天狗と剣術修行したという逸話は有名だ。

 「鞍馬山鋼索鉄道」という難しい名前のケーブルカーの路線があって、これは日本で唯一、宗教法人経営になる鉄道会社だそうだ。石段を歩いて上ってもさほど急でもないが、鞍馬寺本殿の前に着くと、そこには日本有数のパワースポットと言われる場が広がる。その神秘的な山間の空気と相まって、近年はブームとなり、外人観光客も目指して来るらしい。

 秋には京都三大奇祭の一つ、鞍馬の火祭りが行われる。これは鞍馬寺に隣接する由岐神社の祭りで、夜も深まったころに、松明を掲げた男たちが担ぐ神輿が、神社から急激な参道を下り降りる場面は、降り注ぐ松明の火花に映えて、勇壮なクライマックスを迎える。鞍馬から通って来ていた高校の同級生が、祭りの義経役になったとか聞いたこともある。

 鞍馬の天狗をテーマにした創作作品も幾つかある。アラカン(嵐寛寿郎)扮する映画、大仏次郎原作の「鞍馬天狗」は、鞍馬の天狗伝説とは直接の関係が無いようだ。能の演目にある「鞍馬天狗」は、牛若丸伝承に題を採り、大天狗と牛若丸との間の少年愛的な仄かな愛情の前場と、山中での兵法修行を行う後場の対比が売りもので、今風にいうと、一種のボーイズラブ・ドラマかも知れない(笑)

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